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「日本人ばなれした○○」って言う表現使うよね
「日本人ばなれした、スタイル、歌唱力、リズム感、顔だち」
なんて具合に、
で、この表現「ホメ」か「ケナシ」かっていうと
ほとんど場合「ホメ」
「○○ちゃんてさ、日本人離れした顔立ちよねえ」なんて言う時の心は
「うらやまし〜〜」なんだよね、基本的に。
でもさ、あたりまえだけど
「日本人ばなれ」が「ホメ」であるのは、ここ、日本でだけで
外国に行って「日本人ばなれ」を売り込んでも
ぜ〜〜んぜん、意味ない。
「コッテコテの日本人」っていうのが、外国では受けるわけでさ
一生懸命「日本人ばなれ」して、
西洋(って言い方もなんだけど)で売り込もうとしても、無理。
熊川哲也だって、「日本人ばなれしない」スタイルだし
古くは山口小夜子なんかも、「日本人ばなれしない」お顔立ち
もっと古くは「スキヤキ」でしょ。
たけちゃんがヨーロッパで受けてるのも
根本はそこらへん。
まあ、本人はインタビューなんかで
「いかにも、外国人が喜びそうな、日本的なもので、
受けを狙うのは卑怯だから、それだけはさけた」なんてことを
昔 言ってたけど、
彼の映画は、あきらかにコテコテの日本
全く「日本人ばなれ」してない。
そりゃ、あからさまに「お茶室」だしたり「薪能」やったりはしてないけど
こないだは、文楽、
今度は座頭市だもん、コッテコテだよねえ。
極端に少ないせりふと、微妙な間と、
あんまり芝居しない役者陣と
まあ、そういう 北野色が
外国から見ると「これぞ、不思議の国日本!」って感じがして
いいんだろうねえ。
しかし、あれねえ、話はずれるけど、
つくづく日本人って、
外国で認められた日本人に弱いよねえ
日本で無名でも、ヨーロッパあたりでちょっと賞もらうと
もういきなり「ホンモノ」な扱いになる
心の中で ? ? ? って思ってても
「なんか、すごいらしいよ」ってことで、さ。
この際、わたくしも、自分の経歴に
1992年 パリ ジダン画廊にて個展
1995年、ローマ デルピエロ画廊にて、個展
とか、入れちゃおうかな。
どうせ誰も調べないし。