<心の理論>   2001/10/30(火)

他人の気持ちを、推し量ったり理解する能力を「心の理論」というらしい。
600万年ほどの間で人類が進化させてきた、人類だけの特有の能力とか。
この、能力が不充分だと、他人の気持ちが分からず身勝手な振る舞いをするようになってしまう。
悪質なストーカーや陰湿ないじめをする人間には、この能力が欠落していることが多いとか。

この能力は、言語のように遺伝的なものらしいが、やはり言語と同じようにその後の成長期に
適切な環境がなければ、発達しないものらしい。
言語の発達の為には、10歳くらいまでの間に言葉にさらされるという経験と環境が必須と聞いたが、
心の理論の発達にも、「他人の気持ちを理解する」という環境や経験が必要ということか。
こうした、社会関係がないと、ちゃんと育たない能力は、いくつかあるらしいが、さしずめ「心の理論」は、
その最たるものなのであろう。

最近の小学校に多いという、集中できない子供たち。
物事に注意を払えない,不適切な状況で走り回る,絶え間なくしゃべり続け,他人の邪魔をする・・・
(医学的には、注意欠陥多動性障害(ADHD)というらしく、脳の画像を見ると
脳の中の注意をつかさどる領域が縮小しているらしい)
・・の子供たちも、この能力の発達過程になんらかの問題があったと考えるべきか。

我々の子供の頃は、3世代同居の家庭はざらだったし、上下の年代の子供たちと混じって外遊びをしたから、
「実体験としての社会経験」を自然と身に着けることができたが、そういう経験をする機会が
少なくなっている今の子供たちは気の毒である。

今の子は、自己中心的、身勝手だ、人の痛みがわからない、などと決め付けるのは簡単だが、
その前に、我々大人が、子供たちにこうした社会経験をする機会を与えてこなかった(奪った)ことを
反省すべきなのかもしれない。

翻って、今アフガンで起っていることだって、TVのこちら側で、厳選された画像(笑)だけを見ていては、
相当の想像力を働かせなければ、所詮は対岸の火事のようなもの。

とは言っても、私も具体的に何かできるわけではない。
結局は、頭でっかちの批判するだけの側に回っているのでは、 という歯痒い思いがある。
今回の事件は、民族や宗教、文化文明の対立というより、 南北問題の一バリエーションに過ぎないという人もいる。
確かに、そういう一面があることは否めない。
だからせめて、必要以上に持っている側に住む者として、 持つことができない人々、持っていたものを
理不尽な力で奪われた人々の痛みを思いやる心だけは、 失わないようにしたいと思っているのだけれど・・・・。

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