<ゆっくり生きる>(2002年4月10日)

夕べ、NHKのクローズアップ現代で、ゆっくりした生活を楽しむ人々、というのをやっていた。
いわく、バブル期に都会で昼夜なく働いていた人々が、体をこわしたり、仕事につまづいたのをきっかけに、
都会を離れて、自然と触れ合いながらのんびりした生活を選ぶ人が増えたとか。

ここで言うのんびりした生活とは、食事に手をかけたり(お金をかけるということではない)、
日に何時間か散歩したり本を読んで、たまには電気のない生活をしてみる、なんていうものらしい。
要するに時間や空気の流れを感じながら、消費する一方じゃない生活をするということか。

「これって、私たちがやってきた生活じゃない?」と、テレビを見ながら夫と話す。
時代がやっと私たちについてきたのか(笑)。

バブルがはじけて、とても苦しんでいる人がいるのも知っているから、
こんな言い方は良くないかもしれないけど、
あれって、一種のカタルシスだったのかもしれないね。
あのまま突っ走っていたら、物を持つことだけにしか価値を見出さない人がどんどん増えて、
置いて行かれないように、みんなでハイテンションを維持し続けてなきゃいけなかったんだもの。
そんなのいつまでも続くわけがないよね。
持ち続けることや、期待し続けることに、みんなちょっと疲れて、何か間違ってやしませんかって、
言いたくなってきたのかな。

でも、私は決して、物欲や性欲など肉体の快楽に捕らえられて、それにはまっていく人が愚かで、
ストイックな生活をして精神の快楽を求める人が高尚、とは思わない。
どっちがいいとか悪いとかいう問題ではなくて、それぞれがそれぞれの心地の良いほうを選べばいいこと。
それに、片方を選べば、必ずもう片方を諦めなければいけない、というものでもないと思うしね(笑)。

ただ、ちょっと前までビンボくさいと言われかねなかったことが、新しい生き方なんて言われるようになって、
そっちに行きたいと言い出せなかった人たちが、大っぴらに一抜けたと言えるようになったのは、
良かったなと思うけど。

*この記事に対する、ご意見・ご反論・ご質問・ご感想は「放言室」へどうぞ。


HOME  雑感TOP

このコンテンツ内のすべての画像、文章は、HAMIX JOURNALに著作権があります。
サイト外ページからの直リンク、および無断転載を禁止します。