■本の部屋過去ログ・その3
2001年9月18日〜11月28日まで(26〜30)

日付は上から古い順になっています。


26)憎悪の果実(私立探偵ジョン・タナーシリーズ)
どーも     投稿日:2001年9月18日<火>20時12分

スティーブン・グリーンリーフ著 黒原敏行訳
  早川書房(ポケットミステリー1699)
  2001年3月15日発行 定価1,100円

人間、齢を重ねると、保守的になり安定を求めるものである。
そのせいか、ミステリーはどうしてもシリーズものに偏り、
ついついマンネリズムの中で本を読んでいる。
ということで、今回の作品は、15年前から読み続けている
スティーブン・グリーンリーフの私立探偵ジョン・タナーシリーズ
第13弾「憎悪の果実」である。

早川ポケットミステリーでは、マイクル・Z・リューインの
アルバート・サムスンシリーズと並んで、私立探偵ものの双璧を
なしているシリーズである。
2人とも、かのロス・マクドナルドを継ぐ作家としてもてはやされた
こともあったが、確実に自分のスタイルを作り上げてきた。
私が、ミステリーにのめり込むきっかけになったのが、
ロス・マクドナルドの作品だったことを考えれば
もちろん、ロスマクの面影にひかれて読み続けてきたのではあるけれど・・・・

今回の、タナーも、いい意味でお決まりのパターンで事件に巻き込まれていく。
つまり、売れない私立探偵が必ず持っている正義感と真実の希求感にかられ
依頼人がいない(!)にも拘わらず、殺人事件の捜査に乗り出すことに・・・
このあたりは、ちょっと古臭い手法なんだけど、まあ、心地いいマンネリと
言えなくもない。
しかも相手は、その地方では陰の権力者である大実業家と来ている。

普通、ミステリーは小さい事実の積み重ねが、少しずつ大きな束になって
最後は、大きな渦の中で大団円に向かって収束していくことになるのだが
今回は、機械仕掛けの神(ギリシャ劇で、最後に唐突に登場し、
筋の行き詰まりを解決してくれる神)によって、終焉を迎える。
今まで、対決していた相手は全てハズレ、消去法で残った人物の中の
1人の告白から、あっけないほど簡単に真実が導き出される。
そういえば、作中で主人公が狙いをつけた容疑者が次々と外れてしまった時、
『機械仕掛けの神でも現われてくれないか』と嘆く場面があったんだっけ?
このあたりは、謎解きとしてはちょっと力が抜けそうになるけどね・・・
しかし、そのあまりにも単純な、かつ、無垢な動機による殺人が、かえって
罪を犯した者のやりきれなさ、切なさを強く浮き上がらせている。

親子そして兄弟、さらに、友情と不倫の人間関係が交錯し、
さらに血筋探しをからめてと、この辺りも昔ながらのミステリーなんだけど
だけど、いつもながらに登場人物の一人一人が抱え込んでいる悲しみと、
どうしようもない孤独感は相変わらず胸に迫って来るものがある。

本作は、筋立てがシンプルなだけに人間の弱さや悲しみというものが
ストレートに立ち昇ってくる。
ちなみに、今回はほとんど、登場人物一覧を見直すこともなかったほど。
私の場合、ミステリーにドラマチックな筋立てはあまり必要ない。
最後の1行のどんでん返しなんかも、かえって興醒め。
真実がさらけ出されることによって、殺された者の、そして殺した者の、さらに
それを解決したヒーローまでもが、人生のどうしようもない隘路に出会い
途方に暮れている、そのやるせなさをわが身に感じさせてもらえれば
十分である。
今回も、その大いなるマンネリズムに思わず合格点を与えてしまおう。
ちなみに、「憎悪の果実」とはイチゴのこと。舞台は、メキシコ系労働者が悪条件
で使われているカリフォルニア郊外のイチゴ農場と、ちょっと1昔前の趣であるが、
どっこい、これも現在のアメリカの現実なんだそうです。
27)ヤダーシュカ ミーチャ
どーも     投稿日:2001年9月27日<木>20時05分

大庭みな子著 講談社 2001年5月30日発行 定価2,300円

仮にあなたが歳をとって、過去の思い出に浸っている時に
強く印象に残っている人を、何人か教えてください、と
言われたら、あなたは誰の、そしてどんなことを話せますか?
私なら、思い出せる人は確かに何人かはいるにしても
他人に話せるほどはっきりした印象も残っていないだろうし
まして、その人とどんなことがあり、何を話したかなんて、
全く覚えていないんじゃないかと、今から寂しくなってしまう。

この作品は、老齢のご婦人がそういう昔に、自分とつながりがあった
幾人かの人たちの思い出を語るという連作短編集である。
もちろん、小説ですから全てが事実ということではないでしょう。
しかし、背景や人物設定には著者自身が色濃く出ています。
また、『思い出を語る』と言ったが、実は著者は数年前、
脳梗塞だったかの後遺症で、自筆ができずに口述筆記で書かれた
作品だそうです。しかもご主人が聞き取っているということです。

つまり、読む側としては自伝のつもりで読んでしまっていますが、
話す側としては、ときどき意識がはっきりしないような後遺症に
苦しみながら、遠い昔の話を、記憶を辿りつつ話しているわけで
事実と創作の境が明確に分からない、その朧さが魅力となっています。
著者自身もそれをわきまえていて、主人公にこう言わせています。

「世の中は 夢かうつつか 現とも 
       夢とも知れず 有てなければ」―小野小町―

それだけに、かなり際どいことや危ういことも、奇をてらわずに
さらりと言ってのけてしまう。

著者の大庭みな子は、私の好きな作品「おむぶう号漂流記」で
この夢と現のたゆたいの様を、魅力的に表現した作家ですが、
歳を重ね、また大病もしたことで、今度は無意識のうちに、
夢と現の境にいて、ますます魅力的な物語を語り続けています。

ヤダーシュカとミーチャは、主人公(著者)がポーランドに
滞在していたときに、交際のあった夫婦であり、
「ヤダーシュカ」と「ミーチャ」という2つの短編になっています。
主人公は、魅力的な夫人ヤダーシュカに惹かれれば惹かれるほど
その夫であるミーチャにも惹きつけられて、ついに、不倫の関係に・・・
という話を、著者のご主人が聞きながら作品を仕上げていくという
摩訶不思議な作品なのです。

私も、歳をとったら楽しい思い出話がたくさんできるように
今のうちから、せいぜい夢と現の間を思いっきり行き来して
幻の影絵芝居を楽しんでおこうかな。

◎はるみん      題名:大庭みな子といえば 投稿日 : 2001年9月30日<日>00時05分
ずっと、昔に、「死海のりんご」という戯曲を
読んだことがあります。
奔放な若い妻に苛立つ中年の夫、夫の浮気を見守る年上の妻。
昭和48年5月10日発行:大庭みな子の処女戯曲とあります。

あれから、ずいぶん時間が経って、大庭みな子さんも
「思い出を語る」お年になったのですね。
この「ヤダーシュカ ミーチャ」は作者のご主人が
聞き取ってまとめられたとか。
お互いの自由を最大限に認め合い、相手の幸福を願う。
普通の夫婦には、なかなかたどり着けない境地ですね。

岩波文庫の中村真一郎編「恋愛について」に収められている
「幸福な夫婦」(大庭みな子)の中に、
そういう、ご夫妻の様子を伺わせるような、興味深い文が
ありましたので、長くなりますが、引用させていただきます。

できることなら、夫と妻はお互いの恋人の話を、
優しい言葉で語り合えるようになったほうがよいのだ。
ちょうど親友に、他の魅力ある友人の話をするように。

幸福な夫婦とはいつでも離婚できる状態でありながら、
離婚したくない状態である。
夫にすがりつく以外は生きられない女は、夫を束縛して
うるさがられるか、夫に憐れまれるかどちらかである。
妻に去られることを怖れているような男は、
たいていは魅力がない。
独りで生きなければならない場合を常に予期しながら、
現在の慰め合える状態を尊いものに思うのが、
結婚生活を幸福にする方法である。

夫が妻以外の女に興味を持ったり、妻が夫以外の男に興味を
持ったりするのは少しも悪いことではない。
ごく自然なことである。
だから、そういうことは隠し合わないほうがいい。

配偶者に恋人ができたとき、できることは、自由な選択の中で
再び自分を選ばせるようにしむけることだけである。

人生はどっちみち苛酷なものである。
自分以外の男たちが誰も相手にしない女を妻にしていても、
自分以外の女たちの誰も見向きもしない男を夫にしていても
幸せなものではない。

性的なものの中で多くの人格が培われる。
尊敬、愛情、闘争、克服といったものを自然な形で習得する。
性的なものに熱中できない人間は、
あらゆる情念に不感症である場合が多い。
28)センセイの鞄
どーも投稿日:2001年10月8日<月>10時06分

 川上弘美著 平凡社 2001年6月25日発行 定価1,400円

お約束どおり、川上弘美の最新作登場です。
でも、この作品にはあえて書評は不要の気がします。
店頭で、思わず装丁の品のよさに惹かれて手に取り、
パラパラと頁を繰って、やさしげな文章が気に入り買い求め、
静かに読み終えて、ため息を一つついて、そっと本を置く。
それから、当分は1日1回軽くため息をつき、寝床に入る、
そんな日が続きそう。もう、これで充分でしょう。
もちろん、そのため息は、単なる恋に対する憧れや
人生に対する倦怠から生まれたものではないのです。

さあ『読んでみよう』と思った方は、この先は読まないで下さい。
『私は、多分読まないわ』という方だけ、先をどうぞお読みください。
何だか、言葉にして説明をしようとすると、陳腐になってしまいそうな
気もするのですが・・・

ともかく、装丁がきれい。シンプルなんです。
ベージュのソフトな表紙に、鉛筆の素描画と、これも鉛筆で小さく
書かれた題名。表紙の紙質もいい手ざわり。

高校時代の恩師(現国)と18年ぶりに出会った私(36歳)の恋物語。
たまたま、居酒屋で隣り合い、私は、まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、
塩らっきょを注文する。
隣のご老体も全く同じ物を同時に頼む。
さらに彼の前のカウンターには、さらしくじらともずく酢と、彼女の
好物ばかりが、とここまでくれば、2人が何らかの関係に至るのは
素直な成り行きだともいえるのですが・・・
恋をするのに歳の差なんてとは、よく言われますが
2人の間には燃えるような情熱があるわけではなく、さらに
これが本当に男女の恋だと、言い切っていいものか・・・

川上弘美の今までの作品は、一見、純文学風に始まるのに
いつのまにか、おとぎ話のようにどこか判然としない世界に入り込み
また、こちらの世界に戻ってきたりして、それが話の展開に不思議な
味わいを生み出すというのが多かったように思う。
それが、本作では、あくまでもこちら側の世界だけで話が展開する。
しかも、登場人物はほぼ2人だけ。こんな淡々とした恋物語なのです。
感動なんてどこにあるのかというくらい淡々と・・・

まあ、成り行きがいかに自然とはいえ、冷静に考えれば、30歳以上も
歳の離れた恋物語なんて、なかなか現実には成就し難いわけで、
やはりこれも彼女の得意のおとぎ話といえないこともない。
でも、そこは、ありきたりだけれど、充分吟味された言葉づかいと
文章の品のよさ、そして、きわどい筋立てを排したつかず離れずの
2人の関係が、緊張・リラックスをないまぜにして進行していく。

もちろん、彼女は、同窓会で出会ったバツイチだけど味のある男性に
ほのかな思いを寄せたりもするし、それに、センセイとの付き合いでも、
その不自然な関係を揶揄されたりと、俗世間にまみれる部分も
しっかりと描きながら、尚且つ、現実離れした浮遊感を失わないでいる。

ついに彼女はセンセイともう一生会わずにいようと心に決める、
センセイの行きそうな所にさえ行かないでいれば、それは簡単なことだ。
会わないでいれば諦めもつくだろうと。
センセイとしばらく会わないでいるときの彼女の心の動きが魅力的だ。
いや、決して心が激しく揺れ動くわけではない、ただ、今まで
自分は一人でどうやって生きてきたんだか思い出せないだけなのだ。

2人が、ついに結ばれるのは、終わりから3ページ目のこと、そして
それから5行あとで、2人の恋は終わりを告げる。
◎うさ    題名:センセイの鞄 投稿日 : 2001年11月14日<水>13時23分
こんにちは
書評のコーナー、いつも愉しみにしています。
川上弘美、初めて読みました。
装丁と、内容がこんなにぴったりしている本もそうないですね。
センセイの口調が、どうしても最後まで馴染めなかったのを除けば
(というのも、どうも頭に藤村俊二がオヒョイと出てくるわけでして)
しっくりきた、とい表現がぴったりの一冊でした。
たとえば、高校時代の美術の石野先生、友人が憧れているんだけど
月子さんはいまいち、その理由が「手作りの益子焼」、
これを持っているということがどうも好きになれない。
この感覚、非常によく分かるのです。
これだけで月子さんに妙な親近感を持ってしまうのです。
あと、小島君と行くバーの感じも
「くちあけのころのさらさらとした空気」という表現など
すごく気持ちのいい言葉です。

学校の先生という生き物の表現と、月子さんのけっこうぐうたらな生活の
対比も面白く、月子さんはOLという以外に、仕事の内容に関すること、
何も書かれていなかったのもあえてなのでしょうか。

ふと、5ー6年前に読んだ、小川洋子の「密かな結晶」という小説を
思い出しました。
内容は全然違うのですが、感触が分かる微妙なところで、
共通のなにかがありました。

小川洋子は「妊娠カレンダー」で芥川賞とってたはず。
しかし、「妊娠カレンダー」は読んでて、吐き気が実際にしてくるような小説で
(あくまで私には)この人の文章は好きなれないと思ったのに、
そういう人ってつい気になって、これはどうかしらなんて
たまたま買った「密やかな結晶」(じつは装丁買い)これはあたりでした。

ちなみに、どーも様
月子さんは、今年いっぱいはまだ37です。
38の私が訂正しておきます。
それにほぼ同年令の私には、30歳年の離れた恋愛が
現実離れしているとは全然思いませんでしたよ。

これからも、面白い本いっぱい紹介してください。

次は「敵討」いきまーーす。
◎どーも    題名:おひょい、なるほど! 投稿日 : 2001年11月15日<木>21時39分
うさ様、お読みになられたのですね。
それにしても、藤村俊二にはな〜るほどと納得。
一語一語をゆっくりと噛み締めるような語り口、だけど
どこかユーモラスな味わいはぴったりですね。

ただ、私は若い時代のおひょいさんも知っているので、
本を読んだ時は、もっと年配の方、例えば、大友柳太郎を
思い浮かべました。ご存知でしょうか?
「北の国から」で正吉くんのおじいちゃんをやっていた俳優さんです。
往年の時代劇スターですが、このドラマでは酒飲みの馬追いを
やっていました。
でも、麻のスーツにカンカン帽をかぶらせたら適役だと思うな。
ちょっと、歳とりすぎかな?

それにしても、さすがに女性の感性はするどいなと感じました。
細かい言葉の感触や、行間に漂う空気感を楽しむあたりは
感想を聞いて、初めて「う〜ん、そうか。」と同感しました。
ただ、手作りの益子焼については、いまだによくわかりませんが・・・

それに、そうそう、本を選ぶのに装丁は大切ですよね。
まあ、大体、作家の感じや作品の内容に合わせて、装丁のレベルも
決まってきますから、装丁で選んでも、大きな間違いはないものです。
ただし、逆に、なんだこりゃ、という装丁でも中味はびっくりという
おどろき本も、もちろんあります。
この関係は、レコードのジャケットにも言えるかもしれません。

ところで、吉村昭の作品については、下にも書いたとおり、
しみじみ味わいのあるのは、ノンフィクションよりも小説のほうが
いいかもしれません。老爺心まで。
◎うさ     題名:柳太郎・ 投稿日 : 2001年11月16日<金>13時54分
どーも様
お、お〜〜、大友柳太郎、丹下左膳ではないですか。
うん、うん、わかります。
笠智衆じゃ悟りすぎてるし、鶴田浩二じゃ特攻隊になっちまう。
口調はおひょいさんなんですが、いまいち、世慣れしすぎてる感じが
ちと違うなあと思っとりました。
「恋愛を前提としたおつきあいを・・・・」と大友柳太郎の口から言われたら
グッときますう〜〜〜・

私の友人の間では、本の貸し借り頻繁で(出版業界の敵ですの)
同じ本読み終わった後に、
「もしも映画にするとしたらシリ〜〜ズ!」と題し、それぞれ配役決めて、
好き勝手なこというのが、最近流行っとりまして。
みんなを納得させる人物を見つけられと、何やら勝ち誇った気分。
なかなかこれが、難しいもんで、
あんまりはまり過ぎでも面白く無いなんて言う奴もおりまして・・・・

「手作りの益子焼」・・・・・説明が難しいですねえ。
月子さんの言う通り益子焼には何の罪も無いんです。
石野先生、こだわりの人なんです。高校の美術の先生にはこのタイプが多く、
「太陽」(廃刊・・・涙)や「芸術新潮」なんかをかかさず読んでて
女性誌なら「クロワッサン」
洋服は流行に左右されずひたすら川久保令か三宅一生、決して変えない。
ハイヒールははかず、黒いペタンコ靴。
メイクも限り無くナチュラル。
心の中で密かに、桃井かおりに憧れている・・・・
要するに、「さりげなくかっこいい」と思っているのだけれど
実は「こだわりすぎでちと嫌味」
血迷って脱サラし、自然食の店とか藍染めの店、なんか出しちゃったりして
へたすると旦那は、作務衣着てそばなんか打ってたりするわけで
(調子に乗りすぎ)でも、いい奴なんです。
それが、私の感覚の「手作りの益子焼」でーーす。
伝わりました?

「敵討」
登場人物、名前が長い
漢字が多い・・・・・・負けないぞ!
◎はるみん     題名:「手作りの益子焼」 投稿日 : 2001年11月16日<金>20時00分
うさ様:横レスです。

>伝わりました?

私にはおおいに伝わりました。
これを読んで笑い転げてしまいました。
いますね、たしかに。こういう人。
ついでに、髪の毛は決して染めたりパーマかけたりはしない。
たいていストレートのババしばり。
◎どーも     題名:片岡千恵蔵、東千代乃介 投稿日 : 2001年11月17日<土>22時04分
>うさ様
丹下左膳なんて、あなたの世代で何故知ってるんでしょう?
私は、まさにこの丹下左膳や嵐寛十郎の鞍馬天狗の絵がついた
パッチ(本州ではメンコ)でよく遊んだものです。

ところで、益子焼、よーく分かりました。
そうか、益子焼には何の責任もなかったのか?
てっきり、私は益子焼がいけないのかと思い込んでしまって・・・
まあ、益子焼自体はどちらかというと好きなほうではないので、
実際どちらでもいいんですけど、「こだわりすぎてちと嫌味」
なるほど、よくわかりました。
でも、著者も益子焼は好きじゃないんだよ、きっと。
ここで、織部焼きを例えにだされたら、同意できなかったかも
しれません。私けっこう、気に入ってるものですから・・・

それに、メイクがナチュラルでモノトーンの服が似合う人。
これも、けっこう気に入ってるタイプなんですが・・・
29)敵討(かたきうち)
どーも    投稿日:2001年10月28日<日>19時32分

吉村昭著 新潮社刊 2001年2月15日発行 定価1500円

著者が、雑誌「新潮」に発表した敵討ちに関する中篇2作品
「敵討」と「最後の仇討」が収まっている。
いずれもノンフィクシヨンである。
江戸時代、敵討ちは社会的に認められていた私的制裁手段
であった。もちろん、敵討ちをした場合でも、お白州で詮議され
正当な敵討ちであったことが認められなければ、罰せられる
ことになったらしい。
これが、明治時代に入り、しばらくは敵討ちも黙認されて
いたが、法治国家を目指す政府の方針で一転、敵討ちは
禁止され、もしこれを行えば殺人罪が適用されることとなった。
中篇「敵討」は、江戸時代末期にあった敵討ちを、また
「最後の仇討」は、禁止された後の明治13年に実際にあった
敵討ちを取り上げている。

実際に、敵討ちといっても、これを遂げるのは至難の技と
いえる。大げさにいえば、大海の中から一本の針を探し出す
ようなものだし、しかも、仮に仇が見つかったとしても
返り討ちということもあるわけなのだ。
さらに、敵討ちに出かけるためには、藩を脱ける必要があり
お家は断絶、残された妻子は途方に暮れることになる。
収入が途絶えるわけだから、追っているうちに物乞い同然に
なり、餓えて行き倒れになる者も多かったという。
また、中には絶望して刀を売り払い、市井に身を潜める者も
いたようだ。
それだけに、敵討ちは世間では美風と誉めそやされはしても、
敵討ちの決心をし、ましてや本懐を遂げることは非常に稀であった。

吉村昭は、本格的なノンフィクシヨン作家である。
本格的と言ったのは、いわゆる史実を埋めるために推測や憶測を
用いないタイプだからである。
従って、登場人物の心理や感情的部分は、ほとんど出てこない。
このことは、読む側にとっては少し物足りない感じを受けるかも
しれない。
しかし、寄せ集められた事実の中から、1つの大きな真実が
浮かび上がってきたとき、それは切々と読者の胸に響くことに
なる。これがノンフィクションの醍醐味だといえる。
著者は、1年のほとんどを史実を求めて、資料と格闘し、また
証言を求めて全国を飛び回っている。
そのせいか、眼光鋭く、訪れる先では、よく警察関係の人と
間違われるそうである。
ノンフィクションを書く作業は、一方で、膨大な資料を
削いで削いで事実を積み重ねる。
また、一方では、1行を書くためにその裏付けをもとめて
100冊の文献、100人の証人に当たらなければならない。
ほんとに、辛気臭い商売なのだ。

「敵討」では、とても格好がいい敵討ちが行われたとは
言い難い。仇を見つけたのも偶然、仇の人物が別件によって
入牢したのがきっかけ。その後、追放刑を受けたところに
駆けつけ、体も衰弱し戦う気力もない状態の仇を一方的に
討ち取ってしまう。しかも、こちらには浪人の助っ人までいたのだ。
ただ、一般的には名乗りもあげずに斬りつけることが多い
と言われているが、この敵討ではしっかり名乗りをあげてから、
斬りつけていること、また、後日、仇が真犯人であるとの
証言が得られていることが、救いとなっている。

とはいえ、無事、敵討ちを終え、元の藩に戻りはしたものの
数年後には、梅毒で亡くなったそうである。
敵を捜し求めている間の無聊を慰めるため、遊里に足を向けた
ためだろうと、藩士は同情したそうであるが…

今の日本では、私的に仇を討つことなど考え難いし
法治国家としては、あってはいけないことかもしれないが、
少し前までは、当然のように認められていたことを考えると
報復ということは、日本人に全く相容れないものでは
ないらしい。

それにしても、アメリカの報復による戦争、感情的には理解
できる部分もあるけれど、後になって梅毒で苦しまないように
じっくり考えてから行動に移してほしいものである。(蛇足)

なお、吉村昭はもちろん小説も多く発表しているが、
こちらもなかなかいい。ノンフィクション的手法を用いながら
創作の分だけ登場人物の心理描写が細やかに描かれている。
「碇星」「法師蝉」「遠い幻影」などがおすすめです。
また、最新エッセイ「東京の戦争」も好評だそうで
もう枕元に積んであるので、こちらもそのうち紹介します。

◎うさ   題名:「13階段」 投稿日 : 2001年11月22日<木>23時16分
「敵討」と「13階段」
全然違う話なのでござるが、読み終えると、
この二つ、同じことを書いているのだと
拙者は感じるのじゃ(「敵討」風)
ってことで、
今回は
「13階段」
物語は、身に覚えのない罪でこれから死刑に処されようとしている
樹原亮という死刑囚の日々から始まります。
そのせとぎわの樹原の冤罪を、
刑務官である(あった)南郷という男と、
傷害致死で2年の刑期を終えて出所した
三上純一という若者が、一緒に追求解明していく。
一言で言うと
「死刑」と「私刑」のお話です。

時代が変わり、制度が変わり、けれど、
罪を犯す人がいれば当然、被害者もいる、
いつ自分がその立場になるか分からないということ。
正しく「裁く」ということがなされていない、そのことが生み出す悲劇。
な〜〜んてことを、書いてあるんですわ。

推理小説なんて読みますと、ついつい真犯人は?
なんて興味から、へたすっと、先に最後読んじゃって、
自分で自分の楽しみ奪う、なんてバカなことしたりする私ですが、
この小説には、その心配は不要でした。
追い詰める側にだけ感情移入してしまうような
そういうもっていき方はしていないんですね。
殺った方、殺られた方、またその家族。
裁く方、裁かれる方、それぞれに、もし自分だったら、
と深く考えてしまう、そんな小説でした。

ただですね、二年ぶりに娑婆にでてきた若者と
捜査の経験などない「元刑務官」が
まるで刑事のように、過去の事件の真実を突き止めるってことが
できうるか?
なんてつっこみも聞こえてきそうなんでやんすが、
そこは話として必要不可欠、許してやっておくんなせえ。

著者は、高野和明、1964年東京生まれ
映像として「撮る」仕事を長くやって
最近はTVドラマの脚本などを書いている。
第47回江戸川乱歩賞受賞作。

どーも様へ
いやあ、あらためて、どーもさまの書評に感心しきり。
自分で書いてみると、そりゃそりゃ大変さあ、
内容をただ書けばいいってもんじゃないし・・・・・
おめえのは、小学生の読後感想文か!って感じだわ、
むずかしいもんだなっす。

◎はるみん    題名:うささんへ業務連絡(笑) 投稿日 : 2001年11月23日<金>02時10分
せっかくの初登稿、返信欄に書くとは、なんと謙虚なこと(笑)。
それとも、この方が書きやすかった?
もし差し支えなければ、こちらで新規登稿にさせて頂きますが・・。
いかがいたしましょう?


◎どーも    題名:面白本を一人占めは死刑! 投稿日 : 2001年11月28日<水>21時03分
『13 階段』いやぁーハラハラドキドキ、手に汗握る感じ
ですね?
こういう設定、まさにノンフィクションの対極に位置する
ミステリ物ならではの魅力ですね。

今、世界的には死刑制度は廃止の方向に向かっていますし、
おそらく、法治国家の刑罰に死刑はあってはならないとい
う気もします。
しかし、サスペンスに死刑はつきもの。フィクションの世
界では大いに死刑をネタにしてドキドキさせてほしいもの
です。それに、今は「報復」がキーワードの時代ですから、
死刑廃止論も少しあと戻りしたような感もありますね・・・

死刑囚を主人公にした小説、数多くありますが、興味深く
読んだ作品を2つ紹介します。
1つは、加賀乙彦著「宣告」(河出書房新社)
これは、わが国の死刑囚小説の金字塔でしょう。精神科医
でもある作者の死刑囚に対する深い洞察に、ただただ感動
です。古い作品ですから、文庫にもなっているはずです。

そしてもう1つは、小嵐九八郎著「真幸(まさき)くあら
ば」(講談社)
これは、不思議な小説でした。何だか本当の死刑囚が、ぼ
そぼそと心情を語るという風情の作品で、殺人を犯したこ
とによる自己否定と、獄中からの文通相手を愛してしまう
自分を抑圧しようとするぎりぎりと切ない小説です。

いずれの小説からも、死刑制度に対するどうしようもない
やるせなさを、強く感じました。やはり、罰則としては
取り返しがつかないものであるという面と、また、逆に
犯人を殺すことが罰(罪の償い)になるのかという重い
テーマを与えられた気がします。

それと、おまけにサスペンスミステリ部門で、無条件に
楽しめるお薦めを1つ。
設定では「13階段」の上を行くと思われる小説といえば、
忘れてならないのが、アンドリュー・クラヴァン著芹澤恵
訳「真夜中の死線」(創元推理文庫960円)でしょう。

これは、既に死刑執行時間が真夜中の12時と決まっている
死刑囚にその日の朝、たまたまインタビューを許された新
聞記者が主人公。死刑囚に面会したあと、「何か、ひっか
かるな?」と感じて、それから死刑囚の無実を求めて、駈
けずり回る(文字どおり、すごいですよ)という、いわゆ
る24時間サスペンス。結末は、お分かりですよね?

これって、ちょっと(いや、かなり)ハチャメチャだけど、
アメリカ人はこういう大どんでん返しが好きですよね。
きっと、人権の観点からは、死刑制度を廃止したいんだけ
ど、できないかわりに結局、正義は最後に勝つという確信
を求めているのではないでしょうか?
(アメリカは開拓時代のフロンティアスピリットに裏打ち
された自律機能に自信を持っているため、死刑そのものは
優れた制度だという信念を持っているように見えます。)

これ、クリント・イーストウッドで映画化(99年『トゥル
ー・クライム』)されましたから、見た方もいるでしょう?
なお、アンドリュー・クラヴァンは、キース・ピータース
ン名義でジョン・ウェルズ記者シリーズ(すべて創元推理
文庫)を書いていますが、これもとびきりのお薦めです
30)ロミオとジュリエット
アロマ    投稿日:2001年11月3日<土>22時59分

私は、映画・本の観点から子供かもしれませんが・・・
ロミオとジュリエット関連を書き込んでみます。(はじめてなので基本から・・・)
私このロミオとジュリエットを本で読んだことないです。
映画でデカブリオの「ロミオとジュリエット」見てその後、
「恋に落ちたシェイクスピア」を見ました。
すっかりシェイクスピアが好きになりだしてきました。
是非大人の皆様には、映画「恋に落ちたシェイクスピア」なら・・・
楽しんでいただけるかも・・・若い気持ちで、デカブリオの「ロミオとジュリエット」もかっこいいので見てほしいけど・・・
特に女性には、男性には、デカプリオなど・・・と思う方は、先にデカプリオの
「仮面の男」をご覧ください。すばらしい目つきで二人役を演じ、
助演の三銃士ならぬ四銃士に少しは、感動していただけるかも・・・。

ところで・・・こんな現象は、子供のころにもありまして・・・マンガで光源氏の話
「あさきゆめみし」というマンガにはまり・・・すっかり紫式部が好きになり
色々解説書を読んだ時期もありました。
また先日京都に行った時、紫式部が住んでいた、お寺と庭を堪能してきました。寺は、小さくて質素なものでしたが、お庭は桔梗が咲いてきれいな風情のある庭でした・・・すっかりぼんやり眺めていました。

ところで・・・私には、本でも映画・ビデオでも何度でも見たり、
読み返す趣味があります。ひどいのになると・・・300回ぐらい見た一本の映画や20回ぐらい見た本・・・気に入った物は、何度も見返す趣味があります。
皆さんもありますか・・・同じ物でも・・・その日・その時・その時期に感動する場面がちがったり、新しい自分なりの解釈があったり・・・
またその内容が持つ感動が、知りうる・決まった感動が今の自分にほしかったりして、ついつい見ます・・・分かっている物は、安心したりしますし、
気心知れた友に会うように・・・やさしかったりしますよね・・・。
あー・・・はるみんさん・皆さんごめんなさい・・・ビール飲みながら、
だらだら好き勝手に書き込じゃった・・・すっかり楽しかった・・・ゆるしてね
・・・大人のみなさんへ
◎M     題名:シェイクスピアいいですね。 投稿日 : 2001年11月6日<火>23時12分
アロマさん。始めまして。歳だけはいちおう大人の一人Mと申します。
なんだか読んでいて楽しい気持ちになりました。

300回もというほど同じ映画を見たことはありませんが、
同じ本でも読み返すと違った発見があり、自分に感動したりもしますよね。

そう言えばシェイクスピアは、昔はストーリーを読んでいましたが、
人生色々経験してくると、スゴイ台詞ばかりなのだと、最近つくづく発見します。

そしてけっこう人間関係の悩みに対してのヒントがあったり、
アロマさんのおかげで、人生経験豊かな相談相手としてシェークスピアかも
と、いいこと教えてもらいました。

「恋に落ちたシェークスピア」もまだ見てませんが、ぜひみたいとは思ってました。
今度ぜひ見たら感想書きます。それでは、また。


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