■本の部屋過去ログ・その6
2002年4月13日〜5月6日まで(41〜45)
日付は上から古い順になっています。
41)
■ 映画-ブラックホーク・ダウン
■ さくら (91)投稿日:2002年04月13日 (土) 12時54分
ブラックホーク・ダウン [BLACKHAWK DOWN]
監督:リドリー・スコット
製作:ジェリー・ブラッカイマー
出演:ジョシュ・ハートネット、
ユアン・マクレガー、サム・シェパード
1993年10月、東アフリカ・ソマリア。
国連のPKOの一環として派遣されたアメリカのエリート兵士たち。
最新鋭のヘリ・ブラックホークに乗り込んだ
彼らの任務は1時間で終わるはずだった。
だが、事態は思わぬ方向へ・・・・・・。
実話に基づいたスペクタル巨編・・・・
私は、この映画を楽しみにしていて見てきました。
その光景は、悪い夢のようで、衝撃的でした。
しかし、先進国の現代に生きる兵が生死をかけて
仲間を救いあい・励ましあう実話は・・・
真似の出来ない感動しました。
私が生きている間に、
東アフリカ・中東に住む人々は、
平和で健康で、幸せや夢を持てるように・・・
なるのでしょうか?
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■Re:映画-ブラックホーク・ダウン/はるみん (92)投稿日 : 2002年04月13日 (土) 15時01分
さくらさん、はじめまして。
ようこそ、本の部屋に。(^^)
93年のソマリアでは、今回のアフガン以上に悲惨なことが
起ったようですね。
日常では、みな血が通った平凡な人々なのに、
戦場では思いがけない残酷非道なことが出来てしまう。
それが戦争のむごたらしいところですよね。
今、パレスチナとイスラエルの間に起っていることもそうですが、
今も、世界中のどこかで繰り返されている殺戮や破壊。
憎しみや報復からは何も生まれないということに、
我々人類も、そろそろ気がつくかなければいけない時に
差しかかっているのではないかと思うのですが・・。
自分の身が痛まないうちは、所詮他人事なんですよね。
悲しいことですが・・。
あ、初めてなのに、重い話をしてしまいました。(^_^;)>゛
さくらさん、これに懲りずに、また何か語りたいことがあった時は、
気軽にお立ち寄りくださいね。
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■イマジン、ゼアーズ ノー ヘブン♪
/どーも (93)投稿日 : 2002年04月13日 (土) 20時54分
さくらさん、こんにちは。
北の地にも、いよいよあなたの季節がやってきますね。(笑)
あなたが危惧している世界平和が実現するかどうかは
歴史がしっかり証明しているとおり、かなり困難な問題でしょう。
いや、むしろ、この世に人間が存在する限り、難しいと
言わざるを得ないでしょう。
もっとも、あなたが生きている間にとなれば、
あなたの年齢も、相当問題になってきますが・・・(笑)
1対1の人間関係でさえ、様々なギクシャクが生まれるのですから
まして、国家や民族単位の関係となれば、想像を超えた軋轢が
生まれるものだと思いますし、人間の浅はかな英知の限りでは
その解決は無理かもしれませんね。
ジョン・レノンが歌った「イマジン」の世界を創造(想像)できる
力が人間にあるか否かにかかっているような気がします。
最近読んだ本を1冊紹介します。
タイミング的には、すっかり時機を失しているのですが、
昨年9月11日に発生した同時多発テロを描いた
「目撃 アメリカ崩壊」 青木富貴子著 文春新書
2001年11月10日発行 680円
たくさん、出版された同時多発テロ関連本のなかでも
非常に個人的な記録であり(政治的でないという意味で)、
現場に住んでいた生身の人間の感じ方がうかがえる本である。
しかも、事件が発生してから、わずか1月という短期間で
書き上げている。
それというのも、本を書くきっかけが、自分の身の安全を
知人に知らせるためのメールから始まっているからである。
避難閉鎖地域にある自宅のロフトに居残って、事件後の推移を
ある時は冷静に、また、ある時は情熱的に『見つめ続ける』目は
まさに、ジャーナリストの目である。
TV画面で何度も見たあの黒い爆風から全速力で逃げたときのこと、
そして、2日後になってから、全身が猛烈に痛み出した話しや、
周りに住んでいたいくつかの家族の、生身の恐怖を巡るはなしなど
現場の光景を見、音を聞き、匂いを嗅いだ者のみが発信できる
記録が詰め込まれている。
テロ行為は、間違い無く人間の尊厳を真っ向から否定する
愚劣な行為である。
もちろん、その原因や社会状況を分析し、新たな国際関係を
構築していく努力をしていくことは、21世紀に課せられた使命
だということも、強く、感じはしましたが、それ以上に
印象的だったのは、あの、徹底的に打ちのめされたニューヨーク
に住む市民のなかに、間違い無く、人間の尊厳を守るべく
立ちあがり、そして、活動した沢山の人がいたということ。
事件の事後処理に直接、携わった消防・警察だけでなく、献血に並ぶ
無言の市民の列や、何かできないかと駆けつけた無名の市民たち。
戦争を引き起こすのも人間ではあるけれど、いや、まだまだ
捨てたもんじゃないぞと、強く勇気づけられた。
あのソマリヤの子供たちだって、きっとささやかな夢や希望を
胸に秘めているに違いない。
そういえば、子供の時にTVで見た「コンバット」でも、そこで
描かれた1人1人の兵士は、強烈に魅力的な人間ばかりでしたね・・・
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■はるみんさん・どーもさん レスありがとう♪
/さくら (94)投稿日 : 2002年04月13日 (土) 22時15分
血の通ったご意見ありがとうございます。
北の地に「さくら」・・・もうすぐですね
ソマリアにも花咲き乱れる幸福が訪れる事を祈り
どんな中にあっても夢見つづけている子供達は居る
その子供達に私でも少しは力になれる事があれば
行なってみよう・・・と・・・き・め・た。
そうそう
このHPの各所お花のフォトとてもいいですね♪
42)
■ パイロットの妻
■ どーも (95)投稿日:2002年04月19日 (金) 20時59分
アニータ・シュリーヴ著 高見 浩訳
新潮社クレストブックス 2001年8月30日発行
新潮社のクレストブックスシリーズは、あの軽やかな装丁とともに、
海外の若手、ベテランを問わず広く滋味溢れる作品を紹介してくれる、
私が最も楽しみにしているシリーズの1つです。
一昨年、大ベストセラーとなったベルンハルト・シュリンクの「朗読者」や、
これまた、私が一昨年の短編集ナンバーワンだと思っているジュンパ・ラヒリの
「停電の夜に」など、生きのいい作品を次々と出している。
「パイロットの妻」は、このような作品群のなかでは、少し力不足の感が拭えない。
この悪趣味な題名とともに、悪く言うと、昔のハーレクィーンロマンス風の
作品といえるかもしれない。
題名にあるとおり、ある夜更け、主人公のパイロットの妻が夫の操縦する飛行機が
空中爆発したという知らせを受けるところから物語りは始まる。
幸せ一杯で、何不自由なく、そして、またお互い何の秘密も無い完璧な結婚生活を
送っていたと信じていた妻は、この事件をきっかけにして、夫婦の裏側に隠されていた
全く別の様相を知ることになる。
この事故が、夫の自殺によるものだと知らされた妻は、それを否定するべく
二人の結婚生活の記憶を手繰って行くが、浮びあがってくるのは、
妻が知らない事実ばかり。
幸せだったと記憶していたことが、次々と反転して、妻の思いを裏切って行くことに・・・。
しかも、夫の影には別の女性の存在が、ということで、幸せの絶頂にあった妻が、
奈落の底に引き落とされるだけでなく、それまでの夫との愛情まで否定されることとなり、
男女の真の愛情の意味を問いかけてくるところに、思わずハーレクィーンロマンスみたい
なんて言ってみたわけである。
この作品は、2000年にアメリカのペーパーバック部門のベストセラー第1位ということらしい。
たしかに、テーマは人間の絆、そして、しかけはミステリーということで、
娯楽作品とはなっているし、作者のアニータは、超美形の方ではあるが、
今までの、このシリーズの作品としては、物足りなさを感じてしまった。
きっと、夫婦関係なんて、こんなものかと割り切っている男どもとは違い、
女性にとって、夫婦関係における絆の崩壊と再生の物語は、切実な問題なのでしょう。
夫との関係に、最近、疑問を抱いているあなたには、
絶対おすすめの作品ではありますが・・・。
ところで、あなたは○○の妻ですか?
43)
■ 文士温泉放蕩録 ざぶん
■ どーも (96)投稿日:2002年04月26日 (金) 22時24分
嵐山光三郎著 講談社文庫
2001年12月15日発行 695円
昨年から今年にかけて、明治の文学が見直されている。
といっても、明治大学の文学部ではありませんよ。
つまり、明治時代の作家達ということですが・・・
おそらく、当時の作家達の没後100年という時期への巡り合わせの
せいもあるのでしょうが、興味深い作品が次々と出版され、
いずれもが大評判となっている。
たとえば、一番話題になったのは、
久世光彦著 「蕭々館(しょうしょうかん)日録」
2001年5月10日中央公論新社刊
この本は、児島蕭々という作家の住まいである蕭々館を舞台とした
小説で、この家では日夜、作家達が集い、文学論を戦わせている。
当時の知識人といわれる魅力的な作家達が三々五々集まってきては
まるでその知識をひけらかすためだけのように、ただお喋りを続けている。
こういう、形而上の遊びを続ける非生産的な輩を、当時は
「高等遊民」と呼んだらしい。作家自身にとっては、筆を進める
ためのギリギリの戦いともいえる文学論争であっても、
世間からみれば単なる余裕ある人々の知的な遊びとしか見えない。
そういう生き方が、まだ出来た時代、そして許された時代だったということだろうか。
とりわけ、蕭々の娘、麗子の目から見た龍之介(芥川)の姿が
ひときわ魅力的に描かれていた。
次にあげるのは、
高橋源一郎著「日本文学盛衰史」
2001年5月 講談社刊
この作品は、その奇抜な設定から、一見キワモノかと思われがちだ。
漱石や森鴎外、石川啄木が現代に生きていたらという設定で、
例えば、伝言ダイヤルにハマり援助交際に走る啄木、
自分の名作「蒲団」をアダルトビデオ化すべくメガホンを取る
田山花袋が登場してくるという具合。
しかし、作家の生の素顔に触れてみると、この発想は、全く
根も葉もないものではなく、たしかにそうなっても不思議でない
と思わせるところがある。
あの時代の作家達は、どこか多分に精神を病んでおられた方々が
多いのである。
私達が、古典(といっても、明治時代のという意味だが)を読む時、
当然、今の社会や社会状況に照らし合わせて、
その作品を再評価するということがあるはずである。
なにしろ作品を読んでいる人間は、今に生きる人間なのだから・・・
それと同じ意味で、当時の文壇を今の社会に置き換えて、文豪達を
縦横無尽に泳がせてみたというのが、この作品である。
この奇抜な設定の中で、より一層輝きを増したり、はたまた、
もがきあえいでいる彼らの姿を、現代社会への適応という面では
大先輩であるはずの読者たちが、高見の見物をして喜んでいる
ということか。
国語の教科書で始めてお会いした、漱石や啄木という大文豪たちも
当時では、今を生きている生身の青二才なのである。
さらに、普通であれば見向きもされないような全集ものまでが
今、若者に受けていると言う。こざっぱりとしたオシャレな装丁
の影響もあるのだろうか。
「明治の文学」全25巻 筑摩書房刊(2000年秋から順次刊行中)
この全集の編者は、中沢新一と坪内祐三であり、そして、この
坪内祐三が書いた次の作品も忘れてはならない。
坪内祐三著 「慶應三年生まれの七人の旋毛曲がり」
2001年3月22日発行 マガジンハウス社刊
夏目漱石、幸田露伴、正岡子規をはじめとする強烈な個性を持った
七人の作家達の物語であるが、同時代に生きた七人が意外なほど
密接に係わり合いながら、自らの文学の道を追い求める青春群像
になっている。
若くして、既に文豪と呼ばれた者や、なかなか目が出ず苦悩する者、
その作家達が微妙に重なり合って織りなす綾が、
当時の時代の陰影を濃く映し出している。
ということで、前置きがやっと終わりました。(もう、引っ込め!)
はい、すみません。
今回紹介する「ざぶん」には、上の文豪達が勢ぞろい。
そして、いずれも場面の設定が温泉地を巡る話しになっている。
明治時代は、いわゆる言文一致体が生まれ、そして大きく発展した
ときでもあり、現在の小説の基礎ができたときでもある。
まして、作家の数などそう多くも無い時代であり、
同時代に生きた作家達は、いやでもお互いに親友であり、
ライバルであり、また、時には恋敵(こいがたき)となって、
いわゆる一大相関図のなかで、右往左往しているのである。
作者の嵐山は、いうまでもなく往年の名編集者であり、
まるで、文豪達の編集者であるかのように彼らを叱り、おだて、
励まして、また、時には揶揄するように才能に対する絶望の淵に
突き落としたり、逃れられない不倫の袋小路に追い込んだりして、
楽しんでいる。
この作品は週刊誌に毎週、連載したものであり、一話ごとに
登場する作家と温泉地が変わってくる。
ところが、一冊にまとまると、週刊誌連載小説どころでない、
まさに明治文学を支えた偉大な作家達を網羅しており
上の作品群を超えるスケールの大きい文学史小説となっている。
読み終ったら、作家達の魅力的な素顔にも、堪能したけれど、
各地の温泉にも十分、堪能。ちょっと湯疲れもしてしまいました。
温泉は、今も昔も、疲れた人々の癒しの場であると同時に
創造の源泉たる不思議なエネルギーを持ったミステリーゾーンなのです。
44)
■ 「折り梅」(映画)・「わがババわがママ奮斗記」(演劇)
■ なな (97)投稿日:2002年05月01日 (水) 17時25分
「折り梅」
製作・監督 松井久子
原作 「忘れてもしあわせ」日本評論社刊
それは、ある日突然、平和な家庭にふりかかった・・・。
義母がアルツハイマー型痴呆症になったことで、崩壊しかけた家庭が
さまざまな葛藤を経て、見事に再生した実話を通して、人間の無限の可能性を
描いた作品
夫の母の変化に戸惑い、苦しむ妻・巴を演じるのは、「愛を乞う人」で
映画賞を総なめにした原田美枝子。痴呆の義母との関わりを誠実に模索する嫁を
リアルに演じている。一方、痴呆症に見舞われ、自分を失っていくことへの恐怖から
巴に苛立ちをぶつける義母・政子に、舞台・映画のベテラン・吉行和子。
二人の等身大の存在感がドラマにリアリティをもたらし、観るものの胸を打つ。
この他、朴訥な個性が光るトミーズ雅、他方面に活躍する加籐登紀子など、
多彩な演技陣が、作品に独特の魅力を添えている。
と、ここまではパンフから______
場内からすすり泣きが・・ごそごそとハンカチを取り出す音・・。
子供の事、親の事、そして自分の事として、日本人が抱えている大きな現実。
完璧であろうとするが故のわだかまり、時として見失ってしまう育まれた愛。
皆、辛いけど頑張ってるよね 生きるって大変だけどなんか良いね。
自分たちを育ててくれた親じゃない 今度は私達がお世話するよ。大変だけど・・。
時を同じくして_______
演劇 「わがババわがママ奮斗記」 を観ました。
演出 西川信廣
主演 長山藍子(劇団朋友)
体は聞かなくなっても、口は達者なゴーツクババア・・・
なによりも自分の生き方を優先させるモーレツ作家ママ・・・
なんとも小気味良く時代を駆け抜ける、ハチャメチャムスメ・・・
女三代の世代間ギャップと肉親ゆえの赤裸々な確執が、今日的ドラマとなった。
人生前へ進むっきゃない!
と、ここまではパンフから_____
どちらも、今の、そしてこれからもっと厳しくのしかかってくる私達の現状です。
皆さんの家庭でも、周りでも・・
そして思い願う事。
ハチャメチャムスメが福祉を学びに留学したヨーロッパでは
100例の内、自宅介護は、たったの3例 それも2例は年老いた夫が妻を
看ているものだったそうです。
肉親に勝るものは確かにないかもしれません。
しかし、私達が年老いて少ない子供になにも望めない親、
あるいは子供のない夫婦にとって、ただしとどに泣けるこの映画は
映画にすぎません。(違う観点からは人間としての大切なものを教えてくれる
すばらしい作品だと思います。)
この映画は 文部科学省 特別推薦
厚生労働省 推薦 です。
私は、福祉の実情 これからのビジョンを描いた映画が製作されることを願っています。
障害があっても、年老いて動けなくなっても、心は自立を望むものだと思います。
けっして姥捨て山ではないという意識を、容をこれからの人達につくってほしいと願います。
梅は折れてもそこに花を咲かせるほど 強くしなやかだそうです。
命果てるまで しなやかに花を持って生きていきたいと思いました。
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■Re:「折り梅」(映画)・「わがババわがママ奮斗記」(演劇)
■はるみん (98)投稿日 : 2002年05月05日 (日) 01時44分
どちらも、介護の問題がテーマのようですね。
私も親が70代になり、こういうことはいつ起っても
おかしくない状況になってきました。
親の面倒を見るというのは、言うのは簡単ですが、
実際に自分ができるかと考えたら、気持ちはあっても、
とてもじゃないけど、ドラマのようにはいかないと思います。
年老いて、肉体だけでなく、精神も変ってしまった親に、
どれだけ優しく接しられるかは、それまでの親子関係にも
よるでしょうし。私はとてもそうできる自信がないです。
願わくば、母には寝込まないで逝って欲しい。
最後まで人間としての尊厳を保って逝って欲しい。
と、この薄情な娘は、身勝手に願っています。
それは本人が1番強く願っていることでしょうが。
45)
■ 山達コンサート
■ うさ (99)投稿日:2002年05月06日 (月) 20時09分
仕事三昧の連休でしたが
最後に一つお楽しみがありました。
山下達郎コンサートです。
別にとくにファンでもなく、CD一枚持ってる程度
でも以前から一度生で「聞いて」みたい思ってまして
いよいよ実現。
通常コンサートって2時間くらいのもんなんですが
なんと達郎おやじは3時間半
驚異的な咽です、
最初の30分ほどはやや声の出が悪かったですが
後半はどんどんよくなり、アンコールの最後でも
衰え知らず。
まさにプロ。
バックのミュージシャンも「バック」なんて言い方が
悪いほどそれぞれソロで引っ張りだこの魅力的な面々
とくにサックスは達郎の歌より良かったなあ。
達郎は常々「アーティスト」ではなく「アルチザン」と
呼ばれたいという発言をしてて
まさに、それを体現しているコンサート。
真の職人たちが
心底音を楽しんでいるのがびんびん伝わってきて
ミュージシャンという職業が
うらやましくなっちまいました。
客層がまた絶妙にほどよく、
コンサートの楽しみ方知ってる人が多かった。
盛り上がってもいないのに、最初から総立ちになるなんて
コンサートにはうんざりしてるので
アンコールになり、本気で盛り上がって
みんな自然に立ち上がり思い思いに体を動かしているのが
ほんとに気持ちよくて
終わった後のビールがうまかったあ。
写真などで御存じの方も多いでしょうが
達郎の見た目は、アルシンドと宅八郎を足して2で割った
(ひどすぎる!しかも、古ッ!)とでもいいましょうか
なのになぜロンゲなのか、そこは謎。
「天はニ物を与えず」失礼ながらこの言葉がぴったり。
やっぱり ライブはいいです。
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