No.27
老後は誰と暮しますか?
投稿者---M(2001/11/22 16:52:18)


私は中学2年で、母の実父母と同居しました。
このおばあちゃんがスゴイ性格で、どうしてコレほど?と思うくらい、
人のことも、出来事も悪く悪く理解する。
家族はもちろんすべての人の悪口を口汚くののしる。
母とも私ともすさまじいバトルの毎日。
無視しようにも、聞こえてくるひとりごとがこれまた腹の立つつぼを
ぐいぐい押してくる。
最初はあの手この手で、一生懸命努力して仲良くしようとしたのですが、
1年で絶望のどん底。世の中で私が一番不幸と思う、くらーい青春時代
だったのです。
実の親子でもこんなにうまくいかないのだから、お姑さんとはなおさら
と想像。
当時の親友のおばあちゃんは素晴らしい人格者。でもお母さんより
おばあちゃんを尊敬しているというあたりに、嫁姑の確執を感じました。
彼女の母親もステキな人だったので、こんなにできた人間同士でも実際大変
らしい。
この学習により、結婚の第一条件はご両親のすでにいない方、と堅く決意
しました。
今、娘と大バトルの日々ですが、お姑さんのいる方の苦労を思えば、バチが
あたりますよね。
ちなみに今年97歳のばあちゃんは、ほどよくボケて、いつのまにか丸くなっ
ています。
考えてみれば、決してばあちゃんの言葉は聞き流せなかった。
その上、母さんや父さん、(ババの我が子)私にとっては近しいおじさん
おばさんの悪口を私にぶつけるし。
ただしばあちゃんは末息子だけは溺愛していて、なにかというと引き合いに
はだすし、その分息子の嫁に対してが、もう「渡る世間・・」の赤木春江。
今思うと、中学生時代からのこの経験がなかったら、人間努力すれば健全な
付き合いができると信じ、姑と合わなくて即離婚、という人生だったのかも
しれません。中学高校時代はいつも家出を考えてましたから。

まったくの他人であれば「いい顔」だけの関係でいられても、義理でも親子
になると、上下関係が生まれる。そこから悲劇が始まるのではないでしょう
か?

そういう上下関係の間柄で暮らすのではなく、親しい友人同士で集団で老後
は暮したい、そんなこと思ってます。そういう将来に向けて、今から何を、
どういう関係を準備していけばいいか、ちょっと考えてる今日この頃です。


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No.30
Re:気のあった友人と暮します
投稿者---通りすがり(2001/11/23 06:57:33)


はじめまして。

私が長生きすればの話ですが、老後は気のあった友人達と過ごします。
Mさんのおっしゃってる理由とは少し違うかもしれませんが、
私は大分前からそのように決めています。

嫁姑に代表される家族問題は「家」というシステムの問題ですよね。
結婚も専業主婦も家制度の一部といえます。
かつては社会保証制度が不十分でしたし、独占した財産を守るために家制度が必要でした。
今も社会保証制度の不備をごまかすために、嫁や家が利用されていると思います。
娘(少数は息子)を他家に渡す結婚というシステムにも様々な弊害があります。

私は若いときに、こうした家族や結婚という制度を拒否することに決めしました。
だから一人です。でも、なんの不自由もないし、ちゃんと社会人として暮らしていけてます(笑)。
親を説得するのにはかなりエネルギーを使いましたが。

いつの間にか、私の周りに非婚者のネットワークみたいなものができて、
なにかと安心ですし、彼、彼女らは自由で、自分の意志が感じられ楽しいですよ。
「先に死んだもの勝ちだ」なんてよく笑って話しています。


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No.31
Re:気のあった友人と暮します
投稿者---M(2001/11/23 11:09:27)


>はじめまして。

は、はじめまして。こういうやり取りって不慣れなので、緊張します。

>嫁姑に代表される家族問題は「家」というシステムの問題ですよね。
システムにも様々な弊害があります。

そうなんです。まさにそこが言いたかったことなんです。
単純に、「昔作ったシステムだから古くなってきてるよ。
新しく作りなおす時期じゃないの?」という話しなんです。

>私は若いときに、こうした家族や結婚という制度を拒否することに決めしました。

「こういう人を認めると明日にでも日本は滅びる」といういい方をする人がいます。
でも、Kさんのような人が増えたって「子どもは10人以上欲しい」という人も
必ずいるのです。子どもは社会が育てる、という風潮になり、
何よりも母親自身も罪悪感を持たずにそう思え、システムが整えば子どもは
ぜひ産みたい、という人も増加して、結局自然の摂理に一番都合の良いバラ
ンスの取れた数に落ち着くのではないかと思えます。

>いつの間にか、私の周りに非婚者のネットワークみたいなものができて、
>なにかと安心

結婚して子どもができても、既婚・未婚関係なくネットワークができると
いいと思います。小学校高学年以上の子どもにとって、親以外に親身にな
ってくれる大人の存在はすごい財産です。というか絶対必要です。
また、子育ては親育て、と言われるように、子育てによって大人も成長し
ます。整備する必要のある社会システムについても気づかされます。

でも現実は残念ながら未婚の方にとって、既婚子持ちから得ることはない
状態だと思います。既婚子持ちは未婚がうらやましい、だから先手を打って
亭主自慢、子ども自慢、もしくはいかに苦労が多いかの不幸自慢になりがち
。未婚は今だに結婚しない非常識論争になるのはめんどくさいから、
相手がいなくて・・情けない自分です、と思ってもいない鎧で自分を貶める
ことすらある。

違う年代、違う性、違う価値観、金子みすずではないけれど
「全部違ってそれでいい、」と認めた上で、自分自身を本当
の意味で大切にできると、お金がなくても今よりずっと心が
贅沢できると思います。

>「先に死んだもの勝ちだ」なんてよく笑って話しています。

これが、まさかと思うほど生きて苦しむんですよね。ソレを前提に
老後の準備をはじめることは、次に繋がる世代というより、自分
自身が苦しい老後を迎えない為に必要だと思うのです。

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No.32
Re:気のあった友人と暮します
投稿者---通りすがり(2001/11/24 04:02:57)


Mさんおはようございます。

>「こういう人を認めると明日にでも日本は滅びる」といういい方をする人がいます。
>でも、Kさんのような人が増えたって「子どもは10人以上欲しい」という人も
>必ずいるのです。子どもは社会が育てる、という風潮になり、
>何よりも母親自身も罪悪感を持たずにそう思え、システムが整えば子どもは
>ぜひ産みたい、という人も増加して、結局自然の摂理に一番都合の良いバラ
>ンスの取れた数に落ち着くのではないかと思えます。

全くその通りだと思います。
「日本が滅びる」なんていう考えの人によく責められるのは、
子供を作り育てるという部分ですね。
「お前は人類の歴史に参加してない」とまでいわれました(笑)
まったく酷い話ですが、そんなときにいいヒントを与えてくれたのは、
オナガという鳥でした。オナガは一つのペアだけがヒナを育てるのではなくて、
巣作りをしなかった個体が、子育てを支援するのだそうです。
こうした個体はヘルパーと呼ばれていて、他の種類の鳥にも見られるそうですが、
ヘルパーがいると、ヒナが無事に育つ確立が高くなって、群として有利だそうですね。

なので「人間は群の動物なんだから、群として子育てを考えればいいんだ」と思うようになり、
微力ながら子供の野外活動などのボランティアに関わったりするようになりました。
また、日本で一人の子供を大学にやるお金があれば、
発展途上国の学校に行けない子供を、何百人も小中学校に通えるようにできるのですから、
何も日本で自分の子を育てるだけが人類の歴史に参加することではないと思うようにもなりました。
もちろん日本がどうなってもいいとは思いません。
ただ、そんな発想を持つ人が増えれば、子供のない人への妙なプレッシャーや
日本の子育て環境も好転するのではないかと、私も思っています。
<ところでKさんって誰でしょう(笑)>

>でも現実は残念ながら未婚の方にとって、既婚子持ちから得ることはない
>状態だと思います。

確かに、嫌な思いをすることはありますね。
私は、子供の野外活動等を通して、子供達の親と話す機会も多いですが、
私が未婚だと知ると「子供がいなきゃ本当のところは分からないだろう」といった
目で見られることもあります。
面白いのは、親から離れた場所で子供達と寝食をともにしていると、
そうした親がいう我が子と、実際の子供が大きくずれていることです。
私には児童心理学の知識がありませんから、確実なことはいえませんが
「最初に聞いてた話と随分違うぞ。コイツのどこが引っ込み思案じゃ」なんてね。
子供を社会で育てるネットワークの重要性を理解する人が増えるといいですね。

>これが、まさかと思うほど生きて苦しむんですよね。ソレを前提に
>老後の準備をはじめることは、次に繋がる世代というより、自分
>自身が苦しい老後を迎えない為に必要だと思うのです。

私のいった「先に死んだもの勝ち」の話は、
後になるほど自分達のグループの人数が減って、
看護や葬式が大変だぐらいの軽い意味だったんですが、
確かに人間は思った通りに、都合のいい時期に死ねたりはしませんよね。
限られた家族の中で全ての問題を抱え込むと、行きづまってしまう気がします。



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No.33
Re:気のあった友人と暮します
投稿者---M(2001/11/24 13:07:23)


通りすがりさん おはようございます。

>「お前は人類の歴史に参加してない」とまでいわれました(笑)
>まったく酷い話ですが、そんなときにいいヒントを与えてくれたのは、
>オナガという鳥でした。オナガは一つのペアだけがヒナを育てるのではなくて、
>巣作りをしなかった個体が、子育てを支援するのだそうです。
>こうした個体はヘルパーと呼ばれていて、他の種類の鳥にも見られるそうですが、
>ヘルパーがいると、ヒナが無事に育つ確立が高くなって、群として有利だそうですね。

世界に広めたい話しですねえ。すごく救われました。
というのは、絶対にヒントにしたくない話ししか私は知らなくて。
「昔男たちが集団で狩へゆき、女が集団で子を育てていた時は、子どもの父
親は誰かわからないことも気にせずみんなで子育てしていた」
もしくは平安時代の通い婚。子どもは女性集団で育てたわけですけど。
なんだか人間社会の過去から学ぼうとすると、ケダモノじみた感覚を感じて
しまうのは私だけでしょうか。
それにひきかえ「オナガ」は、ある意味人間的ですね。

>ただ、そんな発想を持つ人が増えれば、子供のない人への妙なプレッシャー

そうそう、この問題も、
「今日は天気が良いね―」と同じレベルで「まだ子どもできないの―」とい
うおばさんの中には、何の悪意もなく単に想像力の欠落で相手を傷つけてし
まう、というタイプが多いので、このあたりの問題は義務教育で学習すべき
問題とも思います。

><ところでKさんって誰でしょう(笑)>
 
私の友人で、結婚前に現在のご主人と飲みにゆき、酔って泣き上戸になり、
こともあろうに以前付き合った男の名前を呼びながら、その名前にごめんね
ー、ごめんねーと謝りつづけていたとか。翌日酔って記憶をなくしていた
彼女は、○○って誰?と彼に聞かれ、なんでこの人私が以前付き合っていた
人の名前知っているのだろう?と、もうあせってあせって、ソレでも結婚し
てくれたご主人は偉い!その彼女は看護婦なりたての時、自己紹介で全員ク
ソまじめな抱負を述べていたので、少し盛り上げようと「歌って踊れる看護
婦めざしマーす!」といって、婦長におもいいきり叱られ、何時間も説教さ
れたとか。

何を言いたいかと言いますと、私も彼女のようにとってもお茶目さん、と
いうことで・・…・。そういう人は男の名前をいい間違える、そういうタイプ
と受けとめていただければ・・・・・・・・・

>私が未婚だと知ると「子供がいなきゃ本当のところは分からないだろう」

保育園の父母でもそのように保育士に食って掛かる親がいます。
でもその論法でゆくなら、1人か2人の3歳児しか見てないのと、
新米でも30人、ベテランなら何百人の3歳児をを見た眼からの発言は
とてもおろそかにはできないんじゃないの?と思いますが。
親も保育士も疲れきってとんがっているのが現代社会ですので、
正論の前に、ことばや態度で抱きしめたり、心のマッサージで心を
ほぐしたりが先に必要だな―と、わが身を振りかえっても思います。

>そうした親がいう我が子と、実際の子供が大きくずれていることです。
>私には児童心理学の知識がありませんから、確実なことはいえませんが
>「最初に聞いてた話と随分違うぞ。コイツのどこが引っ込み思案じゃ」なんてね。

私はもっと学問はありませんが、経験則からいうと、
子どもは相手によって自分を変えたり、演じ分けたりします。
相手が子ども好きか、自分を受け入れてくれるか、判断するまでの時間
は子どもによって違いますが、一度そう認識できると、親に見せたことの
ない面をどんどん出す、ということがあります。子どもほど、大人の
顔色を伺う動物はいないと、思っています。

>子供を社会で育てるネットワークの重要性を理解する人が増えるといいですね。

子育てって、信じられないけど、喉もと過ぎれば という側面ももっている
そうで。当人は余裕がなく、余裕ができたら必要なく、が多数なのでしょう
か?とりあえず微力でも非力でも夢でも、こういう思いを持ち続けることが
第一歩かなあと思っています。

>後になるほど自分達のグループの人数が減って、
>限られた家族の中で全ての問題を抱え込むと、行きづまってしまう気がします。

最近、他人同士の6家族で1軒の家を建てた話しを聞きました。最高93歳で、
平均65歳。まさに介護には人手が必要、という事からです。
そうして、その6軒のうち、10年後には定年なので夫婦で来る、家族があり、
その家族の部屋は図面上ありません。つまり、90と93の夫婦の部屋に10年後
入居する、という事なのです。

独身だけのネットワークではなく、既婚、離婚、子あり、無し、親無しなど
世代をこえた繋がり方もあり、と思うのですが、その場合、価値観という
目に見えない理解しにくいものあたりが、キーワードになるのでしょうか?


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No.34
Re:気のあった友人と暮します
投稿者---通りすがり(2001/11/24 19:43:08)


Mさんこんばんは。興味深いレスありがとうございます。

>子どもは相手によって自分を変えたり、演じ分けたりします。
>相手が子ども好きか、自分を受け入れてくれるか、判断するまでの時間
>は子どもによって違いますが、一度そう認識できると、親に見せたことの
>ない面をどんどん出す、ということがあります。子どもほど、大人の
>顔色を伺う動物はいないと、思っています。

なるほど。やっぱりそうですか。私もこんな経験があります。
子供によってやり方は少しずつ違うのですが、
キャンプの前半に、積極的な子供は大人に対して少し我侭に振る舞ってこちらの反応を窺っています。
私はこれを、子供による大人の「値踏み」と呼んでいるのですが、
それによって、自分の好き嫌いだけでなく、このリーダーの言うことは聞くけど
この人は適当に合わせておけばいいといった、大人のランク付けまでしてしまうように思います。
大人しい子も横でそれを観察しながら、以後そのように振る舞うことが多いです。
それが、けっこう大人の人間関係に合致してたりして「こいつらやるなぁ」と思ったりします(笑)

>最近、他人同士の6家族で1軒の家を建てた話しを聞きました。最高93歳で、
>平均65歳。まさに介護には人手が必要、という事からです。
>そうして、その6軒のうち、10年後には定年なので夫婦で来る、家族があり、
>その家族の部屋は図面上ありません。つまり、90と93の夫婦の部屋に10年後
>入居する、という事なのです。

興味深いシステムを考え、それを実行されている方がおられるのですね。
なかなかの行動力だと思いました。
こうしたいろんな実験的な活動が各地で行われるといいですね。
私も次の生活をもう少し具体的に考えなくては。

>独身だけのネットワークではなく、既婚、離婚、子あり、無し、親無しなど
>世代をこえた繋がり方もあり、と思うのですが、その場合、価値観という
>目に見えない理解しにくいものあたりが、キーワードになるのでしょうか?

価値観の違う人と付き合うのは、多くの日本人が苦手とすることですよね。
価値観の多様性を認識し、摩擦や衝突はあるものという前提で
どう付き合っていくかということを考えないと、
例え気の合う友人といえども、こんなはずじゃなかったってことになると思います。
気持ちが通じるという幻想を捨ててしまえといったら、情がないように思われるかも知れませんが、
合理的に考えて、違うことのメリットを、理解できるかどうかだと思います。
その方が、虚礼や馴れ合いではないホントの情が育つ気もするし。
大分前に韓国人街が出来たカナダの町に住む人の話を聞いたのですが、
その人がいうには、理解できないことも多いし、摩擦がないわけではないが、
自分としては町が変わってメリットがあった、というのですね。
些末な例ですが、店なども勤勉な東洋人と競争しなければならないから活気がでて
いままでに無かったものが手に入ったりサービスが受けられるようになったとか。
これぐらい合理的に考えられれば、うまくやっていけるでしょうね。

今の日本の社会制度は、戸籍制度を始め「家」を重視するもので
それに合わせて各種保護制度が作られていますから、
その恩恵を受けて暮らしている人々にとって、
他の価値観を認識しにくい構造になっています。
私は、制度は人の意識まで縛るものだと考えていますから、
こうした制度を変えていかないと、ネットワークを広げるのは難しいと思います。
価値観の違う人が少し増えた段階で、たとえば戸籍制度を廃止するといった、
具体的な行動にでる必要があるのではないでしょうか。
婦人参政権も、時代の流れだけでなく、
運動をして少しずつ勝ち取ってきたものですからね。

若い人でも、結婚することを籍を入れるとか、苗字が変わるなんて表現することがありますよね。
彼らは何の疑いもなく、日本の家族制度の中で人生を発想しているわけですね。
いったい何時代の人間だと思って元気が失せますが、
Mさんとこうした話をしていると、少し気を取り直します(笑)
ハンドルネームのことはお気遣いなく(爆)

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No.35
Re:価値観の違う人と付き合う
投稿者---M(2001/11/25 22:58:19)


話しがバラけているのでタイトルとあわない部分も出ています。

通りすがりさんこんばんは。少し高度になってきた気がしますが、背伸び
せず私の位置まで少し落した発言になるかもしれませんが、等身大でいこ
うと思います。

>キャンプの前半に、積極的な子供は大人に対して少し我侭に振る舞ってこちらの反応を窺っています。
>私はこれを、子供による大人の「値踏み」と呼んでいるのですが、
>それによって、自分の好き嫌いだけでなく、このリーダーの言うことは聞くけど
>この人は適当に合わせておけばいいといった、大人のランク付けまでしてしまうように思います。
>大人しい子も横でそれを観察しながら、以後そのように振る舞うことが多いです。
>それが、けっこう大人の人間関係に合致してたりして「こいつらやるなぁ」と思ったりします(笑)
>
このように受けとめてもらえる子どもは幸せですね。大人によっては「値踏み」
されている現実に気がつかず、「問題行動」「悪い子」と切り捨てるタイプが
多く困ります。たとえばソレが担任だった時、親は先生にこってりしぼられ、
右往左往する事があります。
先生に多く見られるタイプなので、親がそのへんのことを知っていれば、子ども
を追い詰めなくてすみます。また、そういう先生は「値踏み」する子どもより
ある意味幼いので、取り扱い注意。

>こうしたいろんな実験的な活動が各地で行われるといいですね。

こういう方々の情報がもっと知られるといいと思います。
たとえば、共同生活する場合、今まで持っていた家具や、思い出の品など
まずたくさん捨てなければいけない訳です。精神的にも、整理する作業に
用する腕力という意味で肉体的にも、かなりのエネルギーも必要になります。
その源となる「哲学」が、それぞれにきっとおありなのだと思うのです。
私はそこが一番知りたいのです。

>価値観の違う人と付き合うのは、多くの日本人が苦手とすることですよね。

外国人が相手だと、まず相手との文化の違いを覚悟できますよね。
日本人どうし、髪も肌の色も言葉も同じでも、外国人と同じようにそれぞれ
違う文化を持っている、と前提できると、相違点について異文化に触れる、
くらいの知的好奇心がムラムラします。なにより「文化」と考えると、
「主張する」ではなく「理解する」という方向へ変わるような気がします。

(ただし最近「文化」という単語も適当でない気がしてきました。
狩猟型と農耕型、どちらが豊かな生活か?このテーマはまた別に)

>大分前に韓国人街が出来たカナダの町に住む人の話を聞いたのですが、
>その人がいうには、理解できないことも多いし、摩擦がないわけではないが、
>自分としては町が変わってメリットがあった、というのですね。
>些末な例ですが、店なども勤勉な東洋人と競争しなければならないから活気がでて
>いままでに無かったものが手に入ったりサービスが受けられるようになったとか。
>これぐらい合理的に考えられれば、うまくやっていけるでしょうね。

「合理的」という表現も良いですね。
カナダという移民を積極的に受け入れて来た歴史的背景の影響も大きいと
思います。

>今の日本の社会制度は、戸籍制度を始め「家」を重視するもので
>それに合わせて各種保護制度が作られていますから、
>その恩恵を受けて暮らしている人々にとって、
>他の価値観を認識しにくい構造になっています。
>私は、制度は人の意識まで縛るものだと考えていますから、
>こうした制度を変えていかないと、ネットワークを広げるのは難しいと思います。
>価値観の違う人が少し増えた段階で、たとえば戸籍制度を廃止するといった、
>具体的な行動にでる必要があるのではないでしょうか。

最初読んだ時、ちょっと過激と思いましたが、戸籍制度以外に置き換えて
みると私もそう考えていました。

今の日本の○○制度は、、
その恩恵を受けて暮らしている人々にとって、
実に都合のよい構造になっています。

戸籍制度に限らず、なにか崩しやすいところからでも、弊害になっている
制度を一つでも崩してゆきたいものです。

>婦人参政権も、時代の流れだけでなく、
>運動をして少しずつ勝ち取ってきたものですからね。

金子みすずという詩人がいます。「浜が大漁のお祭りで、海では悲しい葬式」
という発想ができる女性だったのに、幼い子どもを残して若くして自殺しま
した。当時はそれしか道がなかったのです。それはきちんと知っておかなけ
ればいけない事実です。ところがある30代の女性評論家が「どうしてもっ
と生きていられる道を探さなかったのだろう。それが残念だ」と、ある雑誌
に書いていました。恥ずかしながら実は私もそこが不思議でしたが、その前
に別の本で、そういう時代だったと学習していて、偉そうな事もいえませんが。
試練や壁にぶつかっても、知恵や、勇気や努力やら、それでもだめでもあき
らめないで時を待つ、など、なにかしら解決法があると思える、少なくとも
女性だからは理由にならない、と考える女性がほとんどではないでしょうか?
でも私達女性がこのように自由に前向きに考えられるようになったのはわず
か100年。女性の不幸な時代について、雑誌のようなマスメディアが、今こそ
テーマにすべきではないかと思います。今こそ学ぶべき過去がソコだと感じ
ます。
この財産を残してくれた多数の屍、その屍達が生きていた時味わった苦痛、
もう一度再認識しておかないと、女性自身がみずからこの財産を知らずに
放棄する事態がないとは言えないと思えてしまう昨今です。

>ハンドルネームのことはお気遣いなく(爆)

恐れ入ります。

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No.36
Re:価値観の違う人と付き合う
投稿者---通りすがり(2001/11/26 17:30:06)


こんばんは。

>話しがバラけているのでタイトルとあわない部分も出ています。

そうですね(笑)。
でも話がどんどん進んでいくのは楽しいことなので、
気が付いたら適宜変えるようにしましょう。

>等身大でいこうと思います。

どんなことでも、自分の問題として考えられる部分を話すのが一番ですよね。

>先生に多く見られるタイプなので、親がそのへんのことを知っていれば、子ども
>を追い詰めなくてすみます。また、そういう先生は「値踏み」する子どもより
>ある意味幼いので、取り扱い注意。

ちょっと話がそれますが、
よく、先生は学校を卒業してまた学校に入るから視野が狭くなりがちであるとか、
今の先生は受験社会の勝組だから大きな挫折を知らず
できない子供の気持ちが分からないなどと言いますよね。
全ての先生がそうだとはいいませんが、当たっているところがあると感じます。
また、文部官僚などは、もっと受験社会のエリートですから、
それらを是正する能力がどこまであるのか、ちょっと心配になることもあります。
そして、学校の外にいる発言力のある人が学校の改革などをいうと、
今度は軍事教練みたいなボランティア活動を思いついたりして(笑)
もっと自然な対応ができないものかと、暗い気持ちになりますね。

>たとえば、共同生活する場合、今まで持っていた家具や、思い出の品など
>まずたくさん捨てなければいけない訳です。精神的にも、整理する作業に
>用する腕力という意味で肉体的にも、かなりのエネルギーも必要になります。
>その源となる「哲学」が、それぞれにきっとおありなのだと思うのです。
>私はそこが一番知りたいのです。

確かに哲学や思想の問題ですね。
経済関係者がいう自由化して市場に委ねる経済というのは、
言い替えると、すべての物事を人間の欲望に委ねてしまう社会ということですから、
物欲や、過度の愛情(独占欲や嫉妬、執着みたいな意味です)を全面肯定して
人々は不満を再生産しながらエネルギッシュに突っ走っていく(笑)。
清貧すら商業化される時代ですから、欲望に対抗する思想教育ができにくい時代ですね。
仏教思想などは、我々日本人が理解しやすいよいテキストだと思うのですが、
各教団もエネルギッシュに突っ走っていますからねぇ(笑)。

私は20代の頃、引っ越しを繰り返していたので、あまり物は持たないようにしていました。
それがいつの間にか、4トントラックでも積みきれないほどの物持ちになって。
ときどき嫌気がさして、身軽になりたいと思うことがありますよ(笑)
多くの人は体の贅肉は嫌うのに、執着という精神の贅肉は肯定する。不思議ですね。
思い出を物質に転嫁する回路を断ち切るのは結構難しいですけど。
(なんか、うまくまとまりませんね。修行僧みたいな話になりそうなのでこれはまた今度)

>外国人が相手だと、まず相手との文化の違いを覚悟できますよね。
>日本人どうし、髪も肌の色も言葉も同じでも、外国人と同じようにそれぞれ
>違う文化を持っている、と前提できると、相違点について異文化に触れる、
>くらいの知的好奇心がムラムラします。なにより「文化」と考えると、
>「主張する」ではなく「理解する」という方向へ変わるような気がします。

異文化に触れる位なら楽しいのですが、一緒に何かやらなければならないときは疲れます。
尻を叩いても動いてもらえず、相当主張しなければこちらの提案などはじかれてしまう。
しっかり約束したつもりなのに、こっちの姿が見えなくなると、すぐに忘れてくれたりするし。
ああ、こいつが日本人ならどんなに楽だろうって思いながら、
「まったくお前ら○○○人はよぉ〜」などと日本語で悪口を喚きながら仕事したりします(笑)
でも、それぐらいズレていると、ちょっとした慰めの言葉が妙に嬉しかったりして。
一緒に達成できたときの満足感も大きいし。
価値観の違う人と暮らすときは、こんな風に理解できないものだと考えて、
本当に必要なことだけを主張して、あとはお互い放っておくしかないような気がします。

>最初読んだ時、ちょっと過激と思いましたが、戸籍制度以外に置き換えて
>みると私もそう考えていました。

そうですか、ちょっと過激に見えましたか。すみません。
でも、先進国の中で戸籍制度などある国はないでしょう。
しかも、10世紀に全廃して、明治に復活させたといいますから笑ってしまいます。
戸籍があれば住民登録はいらない。謄本があればクレジットカードも作り放題というなら、
少しは分かる気もしますが、ほかの国と似た住民登録制度もしっかりあるし、
戸籍が信用の証明にはならないし。今度は国民背番号制なんてこともいってますよね。
日本だけがなぜこんな制度に固執するのか、理解に苦しみますよね。

>試練や壁にぶつかっても、知恵や、勇気や努力やら、それでもだめでもあき
>らめないで時を待つ、など、なにかしら解決法があると思える、少なくとも
>女性だからは理由にならない、と考える女性がほとんどではないでしょうか?
>でも私達女性がこのように自由に前向きに考えられるようになったのはわず
>か100年。女性の不幸な時代について、雑誌のようなマスメディアが、今こそ
>テーマにすべきではないかと思います。今こそ学ぶべき過去がソコだと感じ
>ます。

そうですね。実際は100年よりもっと短いでしょう。全国的にそうした考えが広まったのは
ここ数十年のことではないでしょうか。でもまだ完全にとはいえません。残念です。

確かに女性も男性も人権の歴史に疎い、というか、近代史そのものに疎い。
3学期の末はあわただしくて、歴史の時間の最後がおろそかになるからでしょうか。
小野小町、紫式部は知ってても、平塚らいてうは知らない人が多いと思われます。
日本史、世界史の他に、近代史というカリキュラムがあれば、どんなにいいでしょう。

それと、メディアがフェミニズム運動をヒステリックで滑稽なものと描きがちなので、
こうした問題を真剣に語ることを、カッコ悪いと感じる女性も多い。
さらに足を引っ張っているのは、成功した女性の女王バチ症候群的な発言ですよね。
「私はこの世界に飛び込んで、女とか男とかいったことを気にせずにやってきました。
 女だからどうとかいって騒ぐのは好きじゃない」なんてね。一見気持ちのいい正論に聞こえますが、
制度改革改革の歴史や制度や習慣によって生じる全体の問題に対する認識が完全に欠落しています。
私はそんな発言を聞くたびに「みんなお前と同じにできりゃ苦労しねぇよ」なんて毒づいています(笑)

>この財産を残してくれた多数の屍、その屍達が生きていた時味わった苦痛、
>もう一度再認識しておかないと、女性自身がみずからこの財産を知らずに
>放棄する事態がないとは言えないと思えてしまう昨今です。

まったくもって激しく同感です。

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No.37
Re:老後は誰と暮しますか?
投稿者---はるみ(2001/11/26 21:47:06)


Mさん、通りすがりさん。
こんばんは。

お二人のお話を興味深く読ませて頂いていました。
お話がどんどん進んでいるので入りそびれていましたが、
通りすがりさんさんが書いておられた、

>どんなことでも、自分の問題として考えられる部分を話すのが一番ですよね。

この言葉に励まされて、仲間に入れて頂きたく、やってきました。
どうぞよろしくお願いします。

遅れての参加なので、一本ではまとめにくくなりましたので、折をみて
それぞれの話題のところに参加させていただくことにします。

私は結婚していて、幸いにも(笑)子供はいません。
老後の過ごし方については、私も友人たちと行き来できる
距離で暮らせたらいいねと、常々言い合っています。

その友人たちの中には、子どものいない夫婦だけでなく、
子どもがいても、老後はこどもと暮らすことを選ばないという夫婦や、
夫とは別れて、私達と過ごしたいという女性、はたまた独身で
仕事をしている人もいます。

私にとって1番気が合う友達というのは夫なので、できれば
最後まで一緒にいられたら良いのですが、現実にはそうもいかないでしょうし、
友人たちと近くで暮らすということも、その時になったら、それぞれの
持っているものをどう処分するか、それまでの環境の違いとそれぞれが
どう折り合うかを含め、実現は難しいかもしれませんね。

Mさんが取り上げておられた、
「他人同士の6家族で1軒の家を建てた話」などというのは、
本当に恵まれた方達ですね。
たぶん、仲が良いというだけでは難しいのでしょうね。
一緒に暮らすだけでなく、不動産を持ち合うというのは、経済関係も
発生してくるでしょうから、おそらくそういうことができる方達は
みなさんすっきりとスマートな距離感を持てる方たちなのでしょう。

私の場合は、現実的には、自分の身の回りのことができなくなったら、
持っているものを処分して、手ごろなケアハウスでも見つけることに
なるだろうと思っています。
そこに、友人たちや、連れ合いが一緒に入ってくれれば言うことなしですが、
そうならなくても、幸いに私の年代は人数が多いので、そんなに寂しいことには
ならないだろうと思っています。
それに人数が多いということは、私にその必要ができる年齢になるころには、
今よりもっと快適でリーズナブルな施設が出来るでしょうしね。

老後を快適に過ごすには、これがなければ生きていけないというものを、
だんだん減らして身軽になることも必要かなと、最近思っています


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No.38
Re:老後は誰と暮しますか?
投稿者---sora(2001/11/28 00:09:11)


誘われて、初投稿です。
みなさん、よろしくお願いします。

はるみさんが言っておられましたが、
>私は結婚していて、幸いにも(笑)子供はいません。
>老後の過ごし方については、私も友人たちと行き来できる
>距離で暮らせたらいいねと、常々言い合っています。
私も本当にそう思います。

子供と一緒に暮らしたいとは思うけど、でも子供に負担を掛けさせたくない。
周りに気持ちの通じあう人達がいたら、一人暮らしの方が却って気が楽かも。

ただ言える事は、これから先自分の体がどうなるのかわからないという事。
そうなった場合これは自分の意志に関係なく周りの人達に支配されてしまう
という事。
子供と一緒に暮らしたくなくても、また暮らしたくても、すべて相手次第。

誰にも迷惑はかけないと固く決心をしていたにしろ、絶対迷惑をかけないで
生きていく事はある意味で不可能としか考えられません。
早々と自分の老後の段取りをし、準備万端整えていたにしろ、
やがては自分の意志を通すことが出来なくなるという事.
ある老人を目の当たりに見て、つくづく考えさせられてしまいました。

人に頼らない生活をしていても、ある時からそれがか叶わなくなり、
やがては人に支配される人生になってしまう。
介護度が付くようになったらそれこそ、何が楽しくて生きているのか、
何のために生きているのか、ただただ、生きているのみ。

こんな事を感じている現在、私は「誰と暮らしますか?」より
「誰と暮らせるのかなぁ?」とそれの方に心が傾きます。

将来どんな所でも、老人を人間として扱ってくれる施設ができれば、やはり
施設に入って過ごすのが一番良いと思っているのですが・・・
今の所、有料であろうと特別養護老人ホームであろうと、色々と問題があり、
けっして居心地の良い所とは言えないようなので、色々な意味で老後を
考えてもなかなか自分なりの答えが見えません.