No.40
群れとしての子育て
投稿者---はるみ(2001/11/28 22:46:38)


Mさん、通りすがりさん、こんばんは。
ちょっと、前に戻ってしまいますが、Mさんが書いておられた
この部分から、感じたことを書かせてもらいます。


>結婚して子どもができても、既婚・未婚関係なくネットワークができると
>いいと思います。小学校高学年以上の子どもにとって、親以外に親身にな
>ってくれる大人の存在はすごい財産です。というか絶対必要です

私も全く同じように思います。
というのは、最近、引きこもりや不登校、いじめに苦しむ人たちのことが、
話題に上ることが多くなりましたが、こういう対人関係が苦手な人達と言うのは、
いつの時代にも必ずいたんだと思うんですよ。

ただ、少し前までは、世の中がもっと柔軟で、親以外に子どもの逃げ道
というか、受け入れ体制があちこちにありましたよね。
例えば、いつも声をかけてくれる近所のおじさん、おばさん。
家族も、おじいちゃん、おばあちゃん、犬やネコなど、必ず誰かが見守ってくれている
という安心感がありましたから、子どもも学校や友達とつまづくことがあっても、
どこかで、深刻になる前に、息を抜くことができたような気がします。

外遊びもたくさんできたし、そういうときは、同年代だけでなく様々な年代の子と
混じって遊びましたしね。
そういう環境で、実践的な生活技術や対人関係を学ぶことが出来ましたよね。

しかしながら、今は、均一なものだけを求める時代ですものね。
人と違うもの、規格外のものを認めないし、受け入れようとしない。
それに加えて、無条件で受け止めてくれる祖父母も同居していない。
いろんな年代の子とも遊ばない。
悲しい気持ちの時に、抱きしめてその暖かさに慰められる動物もいない。

引きこもりや、不登校の子が増えているのは、今の子がわがままだからとか、
こらえ性がないからというよりも、逃げ場のない子どもが増えているから、
ということなのではないでしょうか。

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No.42
Re:群れとしての子育て
投稿者---M(2001/11/29 00:32:01)


>Mさん、通りすがりさん、こんばんは。

はい、こんばんは。はるみさん。

これこれ、そうなんですよ。
我が家の6歳児は現在父親とのプロレスごっこや、保育士(担任が
若い男の子なのでラッキー)との雪ぶつけに大夢中。
からだを多いに使った日はご機嫌です。

ところが、保育士は可愛そうに腰や首をイタメ、父親もはるみさん
ピットさんの歳なので、とても若くて毎日長時間のプロレスごっこ
ではからだが持ちません。

女の子ももちろんドッジボールや鬼ごっこなども含め、走りまわって
遊ぶのが大好き。

そして一番のポイントは「からだを使って遊ぶのが楽しい」という
経験です。TV,ゲーム、おもちゃなどでは得られない喜び、楽しさ
があるのです。TVやゲームをやめさせたいなら、からだを使って
遊ぶ、小さいうちは大人がまざって、小学生になったら仲間同士で
遊べるようになります。

からだを使って遊んでくれる大人、そして近所のガキ、これさえあれば
文部省はいらない!

小学校は字と掛け算だけにして、あと全部遊び。美術、音楽も遊びに含め、
家庭科で、朝食は子どもが家で作る事を義務付ける。

誰かが言ってました。
日本の国を変えるのは簡単だ。
東大生は官僚にはなれない、ことにすれば日本は変わる。
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No.43
Re:群れとしての子育て
投稿者---はるみ(2001/11/29 01:34:31)


>はい、こんばんは。はるみさん。

どもども、Mさん。
この状況は、なんか、照れますなー(笑)
>
>これこれ、そうなんですよ。

これこれってのは、外遊びのことですか?(笑)

>からだを多いに使った日はご機嫌です。

そうですね。
大人だって、筋肉を使うと朗らかになりますからね。
子どもはなおのことそうでしょう。
>
>ところが、保育士は可愛そうに腰や首をイタメ、父親もはるみさん
>ピットさんの歳なので、とても若くて毎日長時間のプロレスごっこ
>ではからだが持ちません。

まー、どさくさに紛れて、なんという失礼な(笑)
だから逆らって言うってわけではないんですけどね、
私が言いたかった外遊びの必要性の中には、
大人が入るのでは、意味がない、だめなんですよ。

子どもだけじゃなきゃ。
私の経験から言うと、様々な年齢の子が縦に並んでいるような
子どもだけの世界で遊ぶのが、社会性を養うのに、効果がある
と思うのですよ。

私は4才下の弟がいて、母が仕事を持っていたため、
祖母も同居してましたが、日中の弟のお守り役は、たいてい私。
弟は、歩けるようになってからは、どこへ行くにも
私にくっついてきてました。

私だって、まだ幼稚園か小学低学年。
それでも、弟の面倒をみながら外で遊べたのは、もっと大きい
お兄ちゃん、お姉ちゃんがいたからなんですよ。
弟と2人だけなら、すぐに根をあげていたでしょう。

家では、私はお姉ちゃんでしたが、外の子ども集団の中では、
下の子として面倒みてもらっていました。
年長のお姉ちゃんやお兄ちゃんが、弟の鼻を拭いてくれたり、
トイレの面倒までみてくれましたから、私としては家で弟といるより、
外で遊んでいるほうが、息抜きができたというわけです(笑)

こうして、順繰りに自分たちも同じように下の年齢の子たちの
面倒を見ることを覚えたわけです。
だから、ここに大人が混じっていては、いけないのです。
一番上のお兄ちゃん、お姉ちゃんの価値が下がりますから(笑)。

>からだを使って遊んでくれる大人、そして近所のガキ、これさえあれば
>文部省はいらない!
>
>小学校は字と掛け算だけにして、あと全部遊び。美術、音楽も遊びに含め、
>家庭科で、朝食は子どもが家で作る事を義務付ける。
>
>誰かが言ってました。
>日本の国を変えるのは簡単だ。
>東大生は官僚にはなれない、ことにすれば日本は変わる。

これについては、私は代替案を思いつかないし、こうなった場合の
結果について想像できないので、通りすがりさんにまかせます(笑)。
では。

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No.46
Re:群れとしての子育て
投稿者---通りすがり(2001/11/29 09:28:30)


はるみさん。お久しぶりです(笑)

>結果について想像できないので、通りすがりさんにまかせます(笑)。
>では。

まかされても困ります(笑)
私は昔の子育てが、今よりいいとは思っていません。
今と昔の比較は、もう少し緻密にやらないと、
単なる印象論や思い出話に終ってしまう可能性もあるので、
もう少し範囲を狭めていった方が話しやすいかもしれませんね。

例えば、遊ぶ時間を作ってやるには、
今の子供が忙し過ぎるという問題を解決しなければなりませんが、
時間ができたからといって、昔のように遊ぶかどうかは分かりません。
それから、私は子供にできるだけ声をかけるようにしていますが、
反応は20年前と違うように感じます。歳をとったのかなぁ。意志の疎通が難しくなった(笑)
この前、よその子を叱ったら
「どうなってもアンタとは利害関係がないのだから、放っといてくれ」といわれました。
親がいったのではなく、子供がです(笑)
特殊な例かもしれませんが、親の価値観の反映といえましょう。
また、昨今のペットブームで、生き物を飼う子供は多いのに、
それが必ずしも慰めに結びついていないようにも思うし、
よく分からないことが多いですね。

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No.48
Re:群れとしての子育て
投稿者---はるみ(2001/11/29 14:20:33)


通りすがりさん、こんにちは。

それにしても、ツリー形式のBBSと言うのは、初めての経験ですが、
予想していなかったネタがいきなり目の前に現れる回転寿司みたいで(笑)、
なんかドギマギしますね。

>私は昔の子育てが、今よりいいとは思っていません。
>今と昔の比較は、もう少し緻密にやらないと、
>単なる印象論や思い出話に終ってしまう可能性もあるので、
>もう少し範囲を狭めていった方が話しやすいかもしれませんね。

そうですね。
通りすがりさんさんのbR2にあった、「群れとしての子育て」
と言う言葉で、ふと、思い出して書いたので、私も、これがいま
再現できるとは、思っているわけではいないんです。

それに、「少し前には」なんて書きましたが、あれは自分の年齢を
ごまかす為のトリックで(笑)、実際には、遊び方ひとつとっても、
いろんな年代の子が混じって遊んだなんて経験がある人は、
今の40歳から下の年代には、ほとんどいないようですしね。

ただ、日記にも書きましたが、最近引きこもりの人たちを支えている
グループの催しに参加して、そこで会った子どもたちと話してみて、
声かけの大切さや、グループ遊びの必要性を感じたものですから。

本当のことを言って、私はそれまでは、そういう子達は、
なにか甘えているのではないか、辛抱が足りないからではないか、
と思っていたところもあったんですよ。
今でもその思いが完全に払拭されたわけではありませんが、
でも、それ以来、以前と今の環境の違いを考えるようになったんです。
親の在り方も含めてね。

私は、友人たちの子どもが、おおかた育ちあがった年齢ですから、
いろんなタイプ子どもの生まれてから大学卒業くらいまでを
側で見ることができました。
自分の子育てではないせいか、「あれがあの子のターニングポイントだったな」とか、
「あの育て方がこの結果だな」とか、割に冷静に考えたりして(笑)。
もちろん、そんなことは口には出せませんけど(笑)
ま、これについては、おいおいに。

話は飛びますが、私たちの時代は、センター試験どころか、共通一次も
なかったから、思い立ったら(笑)どこでも勝手に受験できましたものね。
記念に赤門くぐって来るわって、受験だけのつもりが、まぐれで東大に
入っちゃったなんて人も存在した時代でしたし(笑)

それに引き換え今の子は気の毒だなって思います。
通りすがりさんもおっしゃているように、
今の子供は忙し過ぎますものね。
以前は15の春とか言いましたが、今はもっと小さいうちに、
まだ、海のものとも山のものともわからぬような、小学生の時に、
先行きを決めなくちゃいけないらしいですしね。


>それから、私は子供にできるだけ声をかけるようにしていますが、
>反応は20年前と違うように感じます。歳をとったのかなぁ。意志の疎通が難しくなった(笑)
>この前、よその子を叱ったら
>「どうなってもアンタとは利害関係がないのだから、放っといてくれ」といわれました。
>親がいったのではなく、子供がです(笑)

あはは、私もこういう経験ありますよ。
しかも、叱ったんじゃなく、道路傍でしゃがんで泣きじゃくってる子に、
「どうしたの?」と声をかけただけなのですけど。
ものすごい目つきで睨まれて「関係ねーだろ」って言われました。
どう見ても、小学校中学年くらいの子ですよ。
なのに、この私がたじろいでしまうくらい迫力ありました(笑)。

「関係ない」
この言葉、最近の子供のキーワードかもしれませんね。

>特殊な例かもしれませんが、親の価値観の反映といえましょう。

特殊な例ならいいですけど。
最近の強盗や、通り魔みたいに、「金を出せ」なんていうお決まりの前振り(笑)
もなしで、いきなり刃物をふりかざすなんていうのが増えているのを見ても、
言葉が通じない人が増えているような気がして、心配ですね。

>また、昨今のペットブームで、生き物を飼う子供は多いのに、
>それが必ずしも慰めに結びついていないようにも思うし、
>よく分からないことが多いですね。

そうですね。
それに、ペットも消費する時代だそうですしね。
ハムスターなんかその典型ですよね。
子供によっては、寿命の短い生き物を飼うことが、かえって、
よくない結果を生むかもしれないし。
生き物を世話させる事によって、命へのいたわりが生まれるなんて
大人の幻想なのかもしれませんね。


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No.51
Re:様々な年齢の子が縦に並んでいる世界ありました!
投稿者---M(2001/11/29 23:49:59)


>これこれってのは、外遊びのことですか?(笑)

はるみさん、わたっしたらまたやらかしましたね。
いくら引用が多すぎる、とアドバイスされたとはいえ、コレじゃあ
まったくおばかでした。

>私の経験から言うと、様々な年齢の子が縦に並んでいるような
>子どもだけの世界で遊ぶのが、社会性を養うのに、効果がある
>と思うのですよ。
>
本日「学童保育」の説明会がありました。
あの「歌って踊れる看護婦」の母さんが、なんと、今の保育園の
ようなステキな保育を続ける為に「学童保育」がない地域なので
ないなら作ろう!と張りきっているのです。

学童保育は、両親が働く家庭の子どもたちの帰宅する家庭です。
小学校1年から3年または6年までの子どもを、放課後から、夏
冬休みなどは朝から、夕方まであづかります。
運営は父母で、専任の大人がいます。おやつなども手作りです。
家賃や専任者の費用は親から毎月1万円くらいと、バザー、そして
いったん途切れて最近また札幌市からほんの少しの補助でまかな
います。

その学童によっては、各学年の子どもたちが相談して、自転車旅
行や、キャンプなど、子どもたちだけで計画した行事もあります。
毎日のおやつを、みんなで作ったり、百人一首やコマで遊んだり。
冬は雪合戦やタイやすべり、室内で民俗舞踊を習ったりと、子ど
もたちが生き生き遊んでいるそうです。

今時の小学生は、テレビゲームやビデオ、マンガと、とかく誰かの
家でたむろして遊ぶのです。その側で親がたむろして持ち寄りで
お茶したり、親のいない家が遊び散らかされスゴイ状態になったり。
上の子の時はテレビゲームを与えてなかったので、すごすご帰って
来たりしてました。

男の子はとかく腕白は母親たちの評判が悪かったので、来年の入学
後どうするか大問題でした。

学童保育はとにかく運営費(専任者のとても低い人件費)が一番の
問題で、バザーや、父母のうち合わせ会が多く、大変なことも多い
らしいのですが、帰ってきても家に誰もいない家庭で、昔と違って
遊び場も少なく、近所に群れて遊ぶ子もいない現在の状況で、
子ども達をどう育ててゆくか一緒に相談して集団として育ててゆく
ということを大切にしているらしいのです。

学校から子どもの足で30分、車がビュンビュン走る道を渡って通う
ことになるので、気が狂いそうになるほど心配ですが、事前に見学
してこようと思っています。


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No.65
学童保育
投稿者---はるみ(2001/12/08 02:31:21)


Mさん
遅いレスでごめんなさい。

学童保育は、知っていますよ。家のすぐ側にもありますから。
働くお母さんが多い中、この存在はありがたいようですね。

>運営は父母で、専任の大人がいます。おやつなども手作りです。
>家賃や専任者の費用は親から毎月1万円くらいと、バザー、そして
>いったん途切れて最近また札幌市からほんの少しの補助でまかな
>います。

そうなんですか。
運営が父母だけで、というのまでは知りませんでした。
どこも少ない運営費の中、頑張っているようですね。
古いアパートや借家を借りているところが多いのも
そういう理由なのですね。
私はてっきり、子供が大勢なので、新しいところは大家さんが
嫌がって貸してもらえないのかと思っていました(笑)。

そういう粗末な建物のせいか、近所から騒音被害の苦情が出て、
退去を迫られたり、建て直しを口実に解約になったりと、
場所探しには、苦労しているところが多いようです。
家の近所の学童保育もその典型で、すぐ近くで、3,4回
引越しを余儀なくされているようです。

>その学童によっては、各学年の子どもたちが相談して、自転車旅
>行や、キャンプなど、子どもたちだけで計画した行事もあります。
>毎日のおやつを、みんなで作ったり、百人一首やコマで遊んだり。
>冬は雪合戦やタイやすべり、室内で民俗舞踊を習ったりと、子ど
>もたちが生き生き遊んでいるそうです。

なるほど、ただ、放課後行くところを作っているのではないのですね。
こういう時間の過ごさせ方をしてくれるなら、素晴らしいですね。
子供には楽しい場所になるでしょうし、預ける父母の方も安心ですよね。

ただ、家の近所の学童は、いつも室内で、本を読んだりして
あまり外遊びしているのはみかけなかったですね。
狭い室内にたくさんの子供がいて、だから騒音問題も出たのでしょうね。
正直、あなたからこういう話を聞くまでは、私は、学童保育に
あまり良い印象はありませんでした。

>遊び場も少なく、近所に群れて遊ぶ子もいない現在の状況で、
>子ども達をどう育ててゆくか一緒に相談して集団として育ててゆく
>ということを大切にしているらしいのです。

しかし、考えてみれば、こういう父母の自主運営に頼っているならば、
運営者や借りる建物、場所によって、その内容にばらつきがでてきますよね。

同じように放課後の受け皿として、市が運営している児童会館は、
費用負担もないし、建物もどこも立派で安全と思うのですが、
そこを選ばず、あえて、費用がかかっても面倒な自主運営を
しようというのは、やはり、カリキュラムの問題ですか?

ならば、児童会館のような設備を利用して、父母の意見を
取り入れた運営をしてもらえるように、役所に働きかけることは
難しいのでしょうか?
それだと、どの地域の子供も同じサービスを受けられるし、
建物探しで、父母が苦労することもなくていいように思うのですが。

現実がわかってないので、理想論と言われるかもしれませんが、
ちょっとそういうことを考えてしまいました。


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No.49
Re:群れとしての子育て
投稿者---ピット(2001/11/29 18:50:56)


どこにレスしていいか迷いました。話が色々展開しているようですが、
とりあえずMさんがわたしの年齢に言及されたことに ピクッと反応して
ここに取り留めもないことを書きます。
大江の「自分の木」の下で、のように子供の時代に問いかけながら語ろうと
思います。いや、その前に自分の長女について語ります。

彼女は今春、就職しました。高校の英語教師です。
その彼女が今夏、帰省したときに初めて向き合って話をしました。
父親としては照れるところですが珍しく真顔で。
これが今回の群としての子育てに繋がるかどうか、ちょっと躊躇するところ
もありますが、無性に書き散らかしたくなりました。

彼女の成長の歴史には大変なドラマがありました。
生まれながらの障害者でした。先天性心臓疾患。生後すぐに精密検査を受診。
結果は重大なものでした。一才で2回の手術、五才で一回、小学4年生で
根治手術と、彼女にとっては大変苦難の子供時代でした。当時、彼女が受け
た手術法は限られた大学病院でしか実施されておらず女子医大での生死を賭
けた手術でした。そんな彼女が、最初に社会に係わるのが幼稚園。満足に歩
けない子供を入園許可するところはありません。
幸いにも理解を示してくれる園があり、2年間通ったのですが、彼女の孤独
感はつのるばかりでした。友達は当然、走り回り、付いていけるはずがないからです。

そうして小学校に就学する時が来ました。教育委員会は最初、普通学級の入
学を認めてくれません。親のエゴや見栄ではなく、可能性があると信じて、
この子をなんとか普通学級に入れたいと嘆願しました。
その時の学校長の言葉が忘れられません。
「お宅のお子さんはきっと虐められます。」「他の子の足を引っ張ります。」
「担任は忙しく全ての面倒を見ることは不可能です。」等々。こんな事なか
れ主義の教育者が居ること自体信じられない思いでした。何回かの協議の末
教頭先生の強い推挙で、親が教室に入ることで、通学が許可されることにな
りました。
この時初めて教師の質について考えが及びました。
教頭先生の展開した「ノーマライゼーションについて」の熱弁は胸を打ちま
した。あるがままを子供達に見せることも教育である。健常者も障害者もいる。
それが当たり前で、特別なことでは無いことを子供達が知る機会になる。
彼女にとっても障害がどのようなものか、どう克服するか、を友達との関わ
り合いの中で学ばなければならない。障害者が甘えることではなく、甘やか
すことでもない社会これが「ノーマライゼーション」。
これを教えることが出来なければ教育者ではないと・・・。

酒の勢いで「こんな先生に成りなさい」と娘に語ったのですが、
彼女にしてみれば、当然の事でした。

そして、彼女が教師を目指した理由を話し始めました。

一つには障害者として自立すること。

一つにはここまで周りの皆が応援してくれた恩返し。
とくに小中高の先生への感謝。

そして、4年生の時、同じ病室で入院して、一緒の手術を受け、
二度と病室に戻って来なかった友達との約束を果たすため。
元気になって頑張ろうとの・・・

「もし叶うなら私も子供を産み育てたい」そうも言いました。
いまでも一級障害者の彼女が、ここまで頑張ったのは幸運に恵まれたとは
言え、彼女をとりまく社会が、ここまで育ててくれたとつくづく思うのです。
俗っぽい物言いですが、今の世の中、決して捨てたものではありません。

大江が言います。人間にはそれぞれ「自分の木」と決められた樹木があり、
その木の下で子供の自分と、年をとった自分とが出会った時、子供の自分は
将来の自分に「あなたはどう生きてきたのですか?」とたずねるだろう。

たずねられて答えることの出来ない人生を送っている、私の自戒をこめて、
娘にこの本を送りました。


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No.50
Re:群れとしての子育
投稿者---M(2001/11/29 23:03:32)


ずるずるずるーーーー失礼鼻をすする音です。涙目になりました。

>生まれながらの障害者でした。先天性心臓疾患。生後すぐに精密検査を受診。
>結果は重大なものでした。一才で2回の手術、五才で一回、小学4年生で
>根治手術と、彼女にとっては大変苦難の子供時代でした。

私の保育園にも同じ障害の子どもがいます。その子は今2歳でやはり手術して、
今後もまた必要と言う事で、ちょうどピットさんのお嬢さんと同じだと思います。

>そんな彼女が、最初に社会に係わるのが幼稚園。満足に歩
>けない子供を入園許可するところはありません。

うちの保育園は障害者も受け入れているので大丈夫だったのですが、入所
の時「障害があるので万一のことがあった場合でもやむおえない」という
ような趣旨の契約書が出されショックをうけたと母さんが言ってました。
こういう役所の必要書類って、思いやりがなさ過ぎます。園側では言葉を
添えてフォローしてくれたので少し救われましたが、我が子の障害に
ショックを受けている両親に、さらに追い討ちをかけ追い詰めている
という現実を知ってもらいたいです。

>あるがままを子供達に見せることも教育である。健常者も障害者もいる。
>それが当たり前で、特別なことでは無いことを子供達が知る機会になる。
>彼女にとっても障害がどのようなものか、どう克服するか、を友達との関わ
>り合いの中で学ばなければならない。障害者が甘えることではなく、甘やか
>すことでもない社会これが「ノーマライゼーション」。
>これを教えることが出来なければ教育者ではないと・・・。
>
障害児も受け入れるうちの保育園は、まさにこういう事です。
ですから、うちの保育園児たちは外で障害者を見ても子ども独特の好奇心
丸出しの残酷さ、それを叱る親、ということがありません。

ダウンの子だったのですが、怒ったリ笑ったりダハンしたりケンカしたり
言葉もからだも不自由でしたが、ちゃんと自己表現していました。
またワケもなく叩かれても、それもまたどう対処するか子どもたちなりに
それぞれ考えていました。またその子ができるのに途中でやめようとする
と、ちゃんと励まして最後まで見守り達成感を分かち合います。

でも残念ながら今後はうちの園でも受け入れは難しくなりそうです。
ダウンのような場合はどうしても一人の保育士がつく必要があるの
ですが、国の政策で保育士の数をどんどん減らされているのです。

本当は、うちの園のようにからだを使い、水・土・泥などであそび、
マットでのマッサージやリズム運動などをふんだんに取り入れての
毎日は、ダウンなどの障害児が乳児から行う事で画期的に脳とからだ
の発達を促すのです。

私達の園では親も、健常者の我が子にとって障害者とごくふつうに
生活できることを喜んでいました。幼児のうちに一緒に遊んで過ご
すと、その後本当に違和感なく接することもできるし、やさしい気
持ちの子になるし、補助の加減、時には助けず、にやれるはずだよ、
と励まして見守ることもできます。

本当にバリアフリーを目指すなら、大人の意識改革より、できるだけ
小さいうちから一緒に遊べる環境を作る事が急務だと思います。

>そして、彼女が教師を目指した理由を話し始めました。
>一つには障害者として自立すること。
>一つにはここまで周りの皆が応援してくれた恩返し。
>とくに小中高の先生への感謝。
>そして、4年生の時、同じ病室で入院して、一緒の手術を受け、
>二度と病室に戻って来なかった友達との約束を果たすため。
>元気になって頑張ろうとの・・・
>
>「もし叶うなら私も子供を産み育てたい」そうも言いました。
>いまでも一級障害者の彼女が、ここまで頑張ったのは幸運に恵まれたとは
>言え、彼女をとりまく社会が、ここまで育ててくれたとつくづく思うのです。
>俗っぽい物言いですが、今の世の中、決して捨てたものではありません。
>
この話し、さっそく同じ障害児をもつ母さんに伝えます。
先が見えない不安があると思うので、親として大変勇気をもらえると思います。