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母が今日の午後3時4分に帰天しました。
たった3日の入院で、苦しい時間が短かったのと
息を引き取るまでの2時間ほど病室でそばにいられたこと
その間、愛媛にいる弟夫婦、姪っ子、甥っ子が呼びかける声を
耳元で聞かせてやれたのが何よりでした。
姪っ子がおばあちゃんの顔が見たいとテレビ電話で話しかけた時
薄目を開けて、微笑んだのですよ。
それと、はなの写真を見せたときも同じような表情したんですよ。
で、弟のときは無表情。
もうすぐ、43年ぶりにお父ちゃんに会えるよと言ったら
ちょっと眉をしかめてたのがおかしかった。
で、それからまもなく看護師さんが入ってきて、「心臓がとまったようです」と
詰め所でデータを見てくれていたんですね。
去年の冬の初めに、「お母ちゃんは年内持たないよ」って言うんで、
「寒いときはやめてね」と私が言ったので、
春になるまで待っててくれたのかな。
先週の初め、珍しく母が電話をかけてきて
「お母ちゃんのお財布に少しお金を入れて持ってきてほしい」というので
(施設には現金を持ち込めないことになっている)
「どうしたの?」と聞くと
「三途の川を渡るのに、心づけ持ってないと」
ひょうきんなとこある人だから、マッサージの人にチップでもやりたいのかなと
千円札数枚と小銭を、お気に入りの印伝のお財布に入れておとさんも同行。
私達は玄関までなので、居合わせた看護師さんにお財布託して、
窓から顔だしたお母ちゃんと携帯でしゃべりながら、手を振って
又来るよと帰ってきたのです。
で、その数日後の土曜日に転んで肋骨骨折して、整形の外来に行くために
11月以来5か月ぶりに直に会えて、3時間位横に一緒座って話せたとこで
翌々日の月曜日に肺炎で入院、
そうして、今日。
母は、私と違って、なんでも早め早めに準備しないと気がすまない人だったから、
最期もちゃんと用意して、長患いしないでさっさと行ったんですね。
命日を忘れないように祝日を選んだのかな、、、、それもGWの初日とはね。
みんなが集まりやすいようにしてくれたのかな。
最期までお母ちゃんらしい段取りの良さ
ちょっと得意げに「ね、さすがお母ちゃんでしょ」と言う母の声が聞こえたような。