<挙国一致>   2001/10/26(金)

9月11日にアメリカで起こったテロによる襲撃は、確かに衝撃的で悲惨な出来事ではある。
決して許されるべき行為ではないとも思う。
しかしすぐさま「報復すべし」と挙国一致的にいきまくアメリカのやり方には、やりきれない気分にさせられる。

「自分たちの側か、テロリストの側かいずれかだ」という演説をする大統領と、それを拍手で迎える議員たち。
環境問題や兵器開発では、自国の利益ばかりを主張しているアメリカ。
その強引身勝手な論理の延長のように、アメリカにつかない奴はみなテロリストだとでもいわんばかりの演説。
「テロ対策」はあっという間に「戦争の論理」にすり替えられ、同調しなければ敵だと言われ、
そのままひたすら突き進むしかなくなったアメリカ。
あれ以来、ジョン・レノンの「イマジン」始め、反戦的なメッセージの歌が放送自粛(禁止?)となっているとか。
反戦を叫ぶ少数の声は完全に無視されてしまったかのよう。
これが自由の国と言われているアメリカの現実なのだ。

そうしてなし崩し的に始まってしまったアフガンへの空爆。
人口約2千2百万人のうち、飢餓で苦しむ人が3分の1以上もいるというアフガンを、連日空爆するアメリカ。
空爆を始めるずいぶん前から、ブッシュは「十字軍」発言をしていたようだが、まさに十字軍の悪夢を
地で行っているよう。
十字軍を「歴史上の過ち」として謝罪したローマ法王ですら、今回の空爆については容認発言をしている。

しかも、ここ数日の報道によると、ブッシュ大統領は、アフガンへの地上戦への突入と時を同じくして、
ウサマ・ビンラディーン氏の暗殺を容認する発言をしているらしい。
しかし、このテロによってアメリカが受けた被害がいかに大きくても、これは国際法的に言えば、
あくまで国際刑事犯罪のはず。
きちんと捜査して、容疑者を国際手配にして、国際法廷(そういえばアメリカはこれに反対していた?)
で裁くべき問題ではないか。

アメリカ一国が独自の判断で、その絶大な経済力と武力を背景に、特定の国を糾弾し、
その国の地形が変わるほど爆弾を落とすことが、許されていいものだろうか?
戦争がなくても、飢えで死んでいく人々がたくさんいる、国としての体裁さえなしていない世界の最貧民国へ、
世界で最もお金があり、武力を備えた国々が、よってたかって爆撃している。
「何も持ち得ない」立場に置かれた人々を、「持つことだけが全て」のアメリカなど先進各国の人々が攻撃する。
これだけは、どんな理由があってもやってはならないことだ。

10年前の、湾岸戦争の時もそうだったが、アメリカの国防総省の発表そのままに報道する、
日本のテレビの責任も大きい。
あれを見ていると、まるで高度な精密機械が、軍需施設だけを狙ってピンポイント攻撃をしているかのような
錯覚を起こしかねない。
しかし、実際には、湾岸戦争の時は、爆撃の90%は軍需施設以外のところに打ち込まれたというし、
93年のソマリア内戦の時には、200万人が飢餓で苦しみ、まるで死ぬ為に生まれてきたような子供がいるのに、
米軍は、平気で病院にロケット弾を打ち込み、動いている人間には無差別に機銃掃射したという。
今回のアフガンでも、既にNGO事務所が破壊され、村も爆撃されている。これのどこがピンポイントなのか。

9/13の日記にも書いたが、報復合戦は、終わりのないメビウスの輪のようなもの。
繰り返される殺戮からは、何も生まれない。
泥沼化するのは、パレスチナとイスラエルをみればわかることだろう。

軍需産業の活性化を図りたいブッシュは、戦争をやりたくて仕方なかったのでは?
そう考えるのは穿ち過ぎか。
それに、頼まれもしないうちから「旗を見せ」て、憲法を邪魔にし、「そんなことはどうでもいい」と開き直り、
情念や感情に訴える手法で、なし崩し的に海外派兵をしようとしている、この国の首相。
最近、小泉さんの目が据わってきて恐いと感じているのは、私だけだろうか?

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