■ 村の論理 | 2006/11/07(火曜) No.269 |
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AA批判派の方々のBlogは益々ヒートアップしています。 悲しい限り。 ネットでは大きな声の人が勝ちというようなところがあって、 冷静な考えの人、反対の考えの人は、たいてい黙ってしまうようです。
しかも今は、AAの存在自体が詐欺行為だとまで言う人まで現れたようで。 本当にそうでしょうか? 現実に犬は助かったではないですか。 広島の犬たちはもう殺されることはありません。
保護活動は、言うほど簡単なことじゃないと思います。 ましてや今回のような、遠隔地で大規模の場合、想像以上だと思います。 どこがそれをできたでしょう? AAの常駐のスタッフは何人いるのでしょう? 恐らく10人に満たないでしょう。 ボランティアや資金は集まるのか。 見通しがつかない時点での発進です。 受ける自信がありますか? ちょっと冷静になって考えてみてください。
どんなボランティアでも、身を粉にする活動は、熱のある捨て身の人々にしか出来ません。 机上の空論を述べる人、頭でっかちな人、先を見通してからじゃないと 足を踏み出せない人には絶対無理です。 だから私にはできません。
何度も言いますが広島はまだ進行形です。 HPも更新できないだろうし、収支報告だって遅れて当たり前。 パソコンをいじっている人ならわかるでしょう。 画像の整理、数字の整理、入力。 私はかなり慣れていますが、それでも考えながらする作業のときは、 数ページの更新でも、軽く数時間を要します。 それも、肉体労働をしてそのあとそういう作業、頭がまわると思いますか? そんな時間があったら、横にならせてあげたいと思うのが人情でしょう。 それを早くきちんとせいと、がたがた言うなんて、なんと情けない。 思いやりも想像力ないのでしょうか。
人間、ディスプレイの後ろにいれば、他に対しての批判や否定は、 しようと思えばいくらでも出来てしまうものです。 他人を批判する時は、それを題材に自分を良く見せたいという下心がないかどうか 自分に問うてみるべきです。 人は馬鹿ではありません。 どんなにきれい事を言っても、卑しい心は文字を通して透けて見えてくるものです。
この大規模レスキューで、こういう団体の存在を知った方も多いと思います。 今後、日本にレスキュー文化が根付くかどうか、大事なチャンスです。 終結もしていないうちに、外部から批判や否定論が出ること、 その足を引っ張ることになるとは思いませんか?
問題なのは、事実をそのまま伝えている風なのに、 それとなく、持っていきたい結論に繋がる事実しか出さないということ。 悪しき日本のマスコミ体質と同じ。
その場で生で見たり聞いたりしていれば、それほど問題でもないことも、 前後のつながりはカットして。「こいつ、こんなことやってるんだぜ。」的に流せば、 そこだけが事実として通ってしまう。
勿論、ある程度知性と判断力があれば事実はどうなのかの想像はつきます。 それでも、いろんなBlogで何度も書かれれば、 自然と「印象」というものが出来上がってきちゃうものなのですよ。 悲しいかな我ら人間ってのは。
「この国はみんな村の論理で動いている。 規格に合わないものは、弾き飛ばす。 同じ言葉、同じ行動様式のものだけで固まって安心していたい。」
以前、雑感で書いた言葉だけど、今回もそっくり当てはまる情けなさ。 こういう日本社会の「村の論理」が新しいものが出てくることを 常に阻んできたとは思いませんか?
日本にレスキューが根付かないわけ、 レスキュー団体数あれど、ひとつにまとまらないわけ、 ここにきてなんとなくわかった気がする。 村社会なんですね、やっぱり、日本は。
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